清瀬 保二 1900-1981 Kiyose, Yasuji
解説:太田 郁 (698文字)
更新日:2018年4月19日
解説:太田 郁 (698文字)
大分県に生まれ、少年時代には実兄からヴァイオリンの手ほどきを受ける。上京し、山田耕筰に作曲を短期間師事したが、病気のため大分に帰郷する。療養中に独学でピアノを習得した。 1925年再び上京し、石川啄木の短歌による歌曲《いつとなく》などを発表し、照井詠三の演奏によって評価を得て作曲家としての活動を始める。
1930年には、新興作曲家連盟の設立に関わる。新興作曲家連盟は、大正時代の童謡、流行歌、 新唱歌運動、また東京音楽学校を中心としたドイツ・アカデミズムからの脱却を目指し、自分たちの感受性によって新しい音楽を作ろうという意識を持っていた。しかしその解決策を西洋に求めたため、フランス印象派の影響を大きく受けるようになる。清瀬の初期の作品は、ドイ ツ・ロマン主義的な作風を基礎にしていたが、 当時の歌曲にはフランス印象派の影響がよく現れているという(秋山邦晴『昭和の作曲家たち』東京: みずず書房、2003年)。
1934年から 2年間、クラウス・プリングス ハイム(Klaus Pringsheim, 1883-1972)に作曲を学ぶ。アレクサンドル・チェレプニン(Alexandre Tcherepnin, 1899-1977)に認められ、1934年作曲の《舞曲二曲》が『チェレプニン・コレクション』 として刊行された。また海外では、1937年3月に西ドイツのカールスルーエでの「極東音楽の夕」において《ピアノのための組曲》が発表された。1940年、紀元二千六百年芸能祭のため管弦楽《日本祭礼舞曲》を作曲する。1946年、 松平頼則や早坂文雄らと新作曲派協会を設立した。弟子には武満徹がいる。
作品(32)
ピアノ協奏曲(管弦楽とピアノ) (1)
協奏曲 (2)
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ピアノ独奏曲 (9)
子供のための作品 (2)
性格小品 (11)
種々の作品 (6)
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