《ゴルトベルク変奏曲》という名称は、ドレスデンの廷臣カイザーリンク伯爵(バッハにザクセン選帝侯宮廷楽長の詔書を手渡した人物)のお抱えだったクラヴィア奏者ゴルトベルクに由来する。バッハの最初の伝記作者 J. N. フォルケルは、不眠症に悩む伯爵がバッハに作曲を依頼した、と伝えているが、出版に際してなんらの献辞も添えられていないし、ゴルトベルクは当時まだ14歳であったことから、この記述は若干うたがわしい。自筆譜は現存せず、作曲の経緯を完全に解明することはできないにせよ、実際にはバッハのほかの曲集と同様、折にふれ書き溜めたものに推敲を重ね、最終的に30の変奏として配列、構成したと考えられる。
《ゴルトベルク変奏曲》は「二段鍵盤のチェンバロ」を想定しており、各曲に使うべき鍵盤が指定されている。現代のピアノで演奏する場合でも、鍵盤の切り替えの効果は考慮すべきである。さらに、この作品は装飾音に関してきわめて煩雑な問題がある。初版に記された記号は、一般のものよりもいささか長く、何を意味するかよく判らない。バッハは出版後も改訂を行っているが、書き方のあいまいな装飾記号について厳密な指定を残してはくれなかった。現在でも、各種史料のほか、C. P. E. バッハの『クラヴィーア奏法試論』なども参照しながら、なお活発な議論が続いている。