1700年頃にクリストフォリの発明によって生まれたピアノは、18世紀後半から19世紀の半ばまで進化し続けた。ベートーヴェン(1770~1827年)は、まさにピアノの過渡期に生き、さまざまなメーカーの楽器製作者たちと親交を結んで助言し、楽器の進化に直接影響を与えた。また、当時の最新のピアノに触れることによって、楽器から作曲のインスピレーションを得ることもあった。
1803年、エラール社からベートーヴェンにピアノが贈呈される。これはイギリス式の近代的なフォルテピアノで、F1~c4の5オクターヴ半の音域を持ち、4本の足ペダルを備えていた(それまでベートーヴェンが使用していたウィーン式のフォルテピアノのダンパーは、当時はまだ膝レバーで操作するタイプだった)。このピアノに触発され、《ワルトシュタイン》や《熱情》などの中期のピアノ・ソナタの傑作が生み出された。
《ワルトシュタイン》は当初、演奏時間10分ほどのアンダンテが第2楽章として据えられていたが、「導入Introduzione」と題された短いアダージョに差し替えられた(元のアンダンテは後年、独立した楽曲として《アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 》WoO 57と題され出版された)。作曲は1803~04年に行われ、1805年に出版された[1]。
第1楽章
Allegro con brio 4/4拍子 ハ長調

ソナタ形式。力強い生命力を秘めた和音の同音連打で始まる。長2度下の変ロ長調へ意外な転調をし、溝に落ちたような感覚を覚えるが、すぐにハ短調に戻る。第14小節からは空気が澄むようなトレモロとなり、長2度上がってニ短調に。推移部はさらに長2度上のホ短調に進み、コラール風の第2主題はホ長調で提示。これは第1主題の長3度上の調(遠隔調)だが、それを感じさせない巧みな推移によって、天上的な幸福感に安心して包まれる。第1主題を展開し、第112小節目からはハーモニーの色合いを重ねて音型のフォルムをぼかし、谷底を漂う霧のように低音がうごめく中から、右手の煌めく音列がほとばしり、再現部に到達。第2主題の再現は主調から短3度下のイ長調で、構築的な三度音程による調設計が徹底される。コーダは意外な転調と衝撃的なsfを繰り返し、第2主題と第1主題の三度目の登場で締めくくられる。
第2楽章
Introduzione. Adagio molto 6/8拍子 ヘ長調

深淵から立ちのぼってくるような夢幻的な導入。第10小節目から低弦の響きを想像させる豊かな歌が流れ出し、管楽器を思わせる音階の断片が対位法的に重なる。第17小節目から導入が再現されるが、かつて休符だったところに合いの手が入り、思わず心の声があふれ出てしまったかのよう。次楽章のロンドにむかって途切れることなく連綿と続き、最後のGで光が射す。このGを属音として、切れ目なく終楽章へ続く。
第3楽章
Rondo. Allegretto moderato - Prestissimo 2/4拍子 ハ長調

ロンド・ソナタ形式。泉から流れる音のような分散和音を右手が奏でる上で、始源から湧き出た地の歌を交差した左手が歌う。主題部分はペダルを長く踏み続けるよう指示され、ペダルを使用しない他の部分と好対照である。主題のモティーフによる推移もペダルによる幽玄な響きで奏され、第113小節で主題が幸福感を増して回帰。ハ短調に暗転して第2エピソードとなり、三連符の波が交錯し、主題が勇壮に展開される。アルペジオの幽玄な響きがppで織りなされた後、突然視界が開け、主題が感動的なffで現れる。喜びにあふれた第3エピソード(第345小節目~)で高潮すると、神秘的な静けさがたまゆらのごとく束の間訪れ、コーダに。オクターヴでのグリッサンド(現代のピアノは鍵盤が重いため、両手に分けてスケールとして奏することも※)や、旋律を弾きながらのトリルなど超絶技巧を駆使し、華麗に終わる。
※筆者の指遣いの例
[1] 本解説内での譜例は、以下のものを使用:Beethoven, Ludwig van. Klaviersonaten. Edited by Norbert Gertsch & Murray Perahia. Fingering by Perahia. München: Henle, 2012.