5楽章:アルマンド/クーラント/サラバンド/ブレ/メヌエットI・II(トリオ)
この作品は《組曲イ短調 BWV818》と同じく、組曲集に採用されなかった組曲ではないかと考えられる。確証は得られないが、おそらく《イギリス組曲》を終えたのち、《フランス組曲》をまとめるまでに書かれたようだ。しかし音楽内容は、BWV818が古い方を向いているのに対し、BWV819は《フランス組曲》後半、特に第6番あたりと似通っている。これが《フランス組曲》すなわち「前奏曲を持たない組曲集」の候補作であったという根拠は、バッハの時代に作られた2種類の手稿資料において、6曲セットの組曲集のひとつとして、またゲルバーの手稿譜では組曲集の第8番として(BWV818とともに)置かれていることにある。また、バッハはBWV819にも改訂を加え、アルマンドを新たに作曲しなおしている。結局これが組曲集に入らなかったのは、調ツィクルスとして同じくEs-Durの第4番と競合したこと、あるいはまた、BWV819が全体に第6番と似ていたためかも知れない。
現在BWV819aという作品番号で通用しているものは改訂稿のセットのことである。旧来は新しいアルマンドのみを指していたが、今では改訂された全体を表す。
アルマンドは改訂によって大きく変わったが、とりわけ半音階趣味が目立つようになった。前半第7-11小節などは、いささかわざとらしさすら感じさせる。しかしよく見れば、この4小節は7度の転回対位法になっている。また、第3小節と第5小節は鏡像関係にある。後半は第20-21小節にやはり7度の転回が起こる。こうした模倣は、ごく短い和声定型の中で行われる技法の実験のようなものである。息の長い独立したパッセージを形成しないので、意識していなければ聴き手にはもちろん弾き手にも見過ごされてしまうだろう。
これに対し初期稿は平易で簡明だが、模続進行にやや退屈さがある。これを解決するため、八分音符の動機の随所に付けられた装飾音を工夫せねばならない。
クーラントは2分の3という異例の拍子で書かれている。八分音符の連桁の付け方は4×3であるが、実際のリズムは6×2のところが多い。すなわち、この曲全体は2拍子系の複合拍子である。第3小節、第9小節など右手が八分音符の4×3、左手が四分音符の3×2となっているようなところも、別段ヘミオラというわけではない。変則的なリズムを意識して仕掛けた作曲者の遊びということができる。
サラバンドはトリオ・ソナタ風、すなわち左手が弦楽器によるバス、右が2つの旋律パートとなっている。前打音はあまり鋭くならないように、書かれた音符と同じだけの重みを感じて奏さねばならないだろう。
ブレには明らかに、《イギリス組曲》と《フランス組曲》の中間の様式が顕れている。すなわち、四分音符の刻みが支配的な古いタイプのものと、無窮動の八分音符が特徴的なタイプの過渡期である。《フランス組曲》第5番、第6番などのブレでは、♩ ♫のブレ特有のリズムと八分音符の走り回るような動機が同一声部に短い周期で交互に現れ、さらに両手とも八分音符のパッセージに加わるところがかなりあるが、《イギリス組曲》では、四分音符の刻みをどちらかの声部が必ず保持する上、交代の周期が長い。BWV819aのブレは見事にこの中間のスタイルを取っており、すなわち八分音符にブレのリズムが応じたり、両手でブレのリズムを奏したりしつつも、四分音符の刻みがまだかなり残っている。
この組曲は2つのメヌエットで締めくくられる。Es-DurのメヌエットIに対し、トリオにあたるメヌエットIIはなんとフラット6つのes-Mollである。《平均律クラヴィーア曲集》を別とすれば、この調で書かれた鍵盤曲はバッハには他にない。あるいは他の調で書かれた曲を移調したのかも知れない。
バッハは改訂に際してもこの組曲にジーグを加えていない。メヌエットで鍵盤組曲を閉じることは当時はそれほど異様なことではなかった。とはいえ、《フランス組曲》にはアルマンド‐クーラント‐サラバンド-(挿入舞曲)-ジーグの定型を破ったものがひとつも無いことを考えると、BWV819が加えられなかった理由はここにもあるのかも知れない。