ズデンカ―――即ち当時ヤナーチェクが最も心を許した女性に宛てられたこの作品は1880年に書かれている。当時の彼はライプツィヒで音楽を学ぶ20代後半の青年であった。
地元ブルノでは教師、音楽家として成功していたヤナーチェクであったが、本場であるドイツ或いはヴィーンといった音楽界の中心での教育を受けるという夢が依然としてあった。1979年には念願かなってライプツィヒへと渡ることになるのだが、当時地元での教え子のひとりであったのが、ズデンカ・シュルツォヴァーであった。
この作品はもとは音楽院の授業の一環として作曲されたものである。所謂彼の代表作で聴けるような民謡を下地とした独特の音楽観とはかなり離れており、シューマンを思い起こさせるロマンティシズム、ベートーヴェンにまで遡れそうな伝統的な構造・和声を持った美しさがある。
この作品が象徴するように、ライプツィヒでの日々はヤナーチェクにとって、ドイツ音楽の基礎を吸収する最良の機会でもあり、同時に現存の様式に彼が居心地の悪さを感じるきっかけにもなった。この作品を最後にヤナーチェクはライプツィヒを去り、ヴィーンへ拠点を移す。
ブルノから離れて、ヤナーチェクは初めて「外の」世界に触れた。彼が自身の中に愛国主義の芽生えを感じたのもこの時期のことであった。