早くから自身の作品に民謡を取り入れていたヤナーチェクであったが、自身の知っているメロディやふと耳にしたうたなどを書きとめ、作品に反映させる程度であった。しかし、民俗学者フランチシェク・バルトシュとの出会いによってモラヴィア音楽は彼の音楽的要素の中でも欠かせないものとなってくる。
バルトシュはヤナーチェクを自身のフィールドワークへと連れ出した。鉄道などの交通機関が整備されていない場所(昔ながらの文化がそのまま生きている村)を対象としたその旅は厳しいものであったが、そこで触れる音楽がヤナーチェクに与えたものは計り知れない。
モラヴィア(厳密には東モラヴィア地方)の民謡は例えばボヘミアが器楽・和声などの面で西欧都市の影響が見られるのに較べて、構造的に東欧の古い起源に遡る。歌唱は自由な朗唱であり、主にひとつの音を声量いっぱいの声で、長く延ばしながら歌われる。演奏に用いられるのはバグパイプ(または小型のコントラバス)、数本のヴァイオリン、羊飼いの笛にツィンバロン(この大きな打鍵楽器は作曲家たちの注目をあつめストラヴィンスキーらも作品に取り入れている。コダーイ《ハーリ・ヤーノシュ》が特に知られている)。
1888年から採取された民謡を編纂、作曲し、曲集としてまとめられたのは1904年ころ。各曲とも短い5つずつの舞曲から成り、通して演奏しても10分に満たない。前述のモラヴィア舞曲のパーカッシヴな側面と歌謡的な側面がひとつの組曲の中に見事に組み込まれている。
第一曲:
Dymak - Starodavny - Valaska - Pozehnany - Pilky
第二曲:
Kalanajka - Trojky - Seerecka - Kolo - Celadensky