
解説:平野 貴俊 (1064文字)
更新日:2014年1月20日
解説:平野 貴俊 (1064文字)
メシアンのピアノ曲は20世紀ピアノ音楽の最も重要なレパートリーの一部である。ピアノ曲はメシアンにとって創作の根幹をなすジャンルであり、メシアンは70年以上におよぶ創作活動を通して数々のピアノ作品を世に送り出した。《トゥランガリラ交響曲》(1946-1948)などの代表的な管弦楽曲でピアノがしばしば独奏楽器として扱われていることも注目される。ピアノ曲を創作するときメシアンが念頭においたのは、彼の妻であり長らく活動を共にしたピアニスト、イヴォンヌ・ロリオ(1924-2010)の高度な技術と読譜力である。メシアンのピアノ曲を特徴づける個性的な音型や和声の多くは、ロリオの演奏からインスピレーションを得て考案されている。
独奏ピアノないし2台ピアノのためにメシアンが書いた作品は全部で65曲あり、総演奏時間は8時間を超える。2つの大規模な曲集、《幼な子イエスにそそぐ20のまなざし》(1943)と 《鳥のカタログ》(1956-1958)はそれぞれ、メシアンの音楽全体を貫くテーマである神への愛と自然への愛を象徴する作品である。次に重要なのは、作曲家としてのキャリアの最初期に書かれた《前奏曲集》(1928-1929)、ロリオとの出会いから刺激を受けて作曲された《アーメンの幻影》(1943)、トータル・セリーの原理にもとづく《4つのリズム・エテュード》(1949-1950)である。このほか、《4つのリズム・エテュード》と同系列に属する《カンテヨジャーヤー》(1949)、《鳥のカタログ》の延長線上に位置する《ニワムシクイ》(1970)、《鳥の小スケッチ》(1985)などがある。
これらの作品は次の4つのカテゴリーに分けることができる:
(1)初期の作品(《前奏曲集》)
(2)第2次世界大戦期およびその直後に書かれた神学的テーマの作品
(《アーメンの幻影》、《幼な子イエスにそそぐ20のまなざし》)
(3)実験期の作品(《カンテヨジャーヤー》、《4つのリズム・エテュード》)
(4)鳥の歌を用いた作品(《鳥のカタログ》、《ニワムシクイ》、《鳥の小スケッチ》)
ピアノのパートが重視される管弦楽曲としては《トゥランガリラ交響曲》のほか、《神の臨在のための3つの小典礼曲》(1943-1944)、《鳥たちの目ざめ》(1953)、《異国の鳥たち》(1955-1956)、《7つの俳諧》(1962)、《天の都の色彩》(1963)、《峡谷から星々へ…》(1971-1974)などがある。また《ハラウィ》(1945)などの歌曲でもピアノが用いられている。
解説 : 横田 敬
(791 文字)
更新日:2006年5月1日
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解説 : 横田 敬 (791 文字)
20世紀の最も重要な作曲家の一人。メシアンの音楽語法は非常に独自性の強いものであったが、創作、演奏、教育という諸々の活動を通して、その音楽語法は20世紀の音楽の展開に大きな影響を及ぼした。
フランス、アヴィニヨン生まれ。父ピエールはシェイクスピアの全作品を仏訳した英語教師、母セシル・ソーヴァージュは女流詩人であった。7歳から作曲を始め、1918年、和声の教師ド・ジボンからドビュッシーの《ペレアスとメリザンド》の総譜を贈られたことが、彼の人生を決定づけた。11歳でパリ音楽院に入学。1930年に音楽院を卒業後、すぐにパリの聖トリニテ教会のオルガニストに就任し、以後半世紀以上にわたってその職務を全うした。
1936年からパリのエコール・ノルマルとスコラ・カントルムの教師となり、同年、ボドリエ、ルシュール、ジョリヴェとともに「若きフランス」を結成したが、このグループの活動は、第二次世界大戦の開始とともに中断されている。40年にドイツ軍の捕虜となり、シュレジェンの収容所で《世の終わりのための四重奏曲》を作曲。この作品は翌年、5000人の捕虜を前に初演された。41年に釈放された後、パリ音楽院の和声法の教授に就任。以後、フランス内外で積極的に教鞭を執った。47年からはパリ音楽院で彼のために新設された分析のクラスの教授に任命され、ユニークな授業を展開し、そこからブーレーズ、シュトックハウゼンらを始めとする多くの弟子を輩出した。1966~78年は同音楽院の作曲家教授。67年にフランス学士院の会員に選出され、また同年に彼の名を冠した国際ピアノ・コンクールが創設されている。
78年にパリ音楽院を退いた後も旺盛な作曲活動を展開し、8年余りを費やして作曲されたオペラ《アッシジの聖フランチェスコ》が、83年、パリ・オペラ座で小澤征爾の指揮で初演された。85年には第1回京都賞を受賞している。
作品(21)
ピアノ独奏曲 (4)
曲集・小品集 (10)
性格小品 (5)