メシアン :アーメンの幻影
Messiaen, Olivier:Visions de l'amen
総説 : 平野 貴俊 (547文字)
2台ピアノのための《アーメンの幻影》は、メシアンが独自のピアノ音楽の書法の探究に乗り出すきっかけとなった作品である。1930年代、メシアンは作曲家グループ「ラ・スピラル」および「若きフランス」で自作を含めた同時代音楽の普及に携わり、フランスの新進作曲家のひとりとして名を馳せた。しかし、第2次世界大戦中の1940年、メシアンはドイツ軍の捕虜として拘束され、ドレスデン近郊の収容所で生活を送る。記念碑的作品《時の終わりのための四重奏曲》が作曲されたのはこの時である。1941年パリに戻ったメシアンは、パリ音楽院の和声クラス教授として教育活動に携わる傍ら、自らの音楽語法の解説書『わが音楽技法』を執筆し、自らの語法の体系化を試みる。戦争体験後のこうした再出発の時期にメシアンが出会ったのが、当時パリ音楽院で学んでいたイヴォンヌ・ロリオである。ロリオの高度な音楽的資質に刺戟を受けたメシアンは、それまで主としてオルガン作品で扱ってきた神学的なテーマを演奏会用のピアノ音楽に導入するというアイディアを得る。こうしてメシアンは、14年前の《前奏曲集》以来となるピアノ曲集の作曲に取り組み、続いて大作《神の臨在への3つの小典礼曲》と《幼な子イエスにそそぐ20のまなざし》を比較的短い間で書き上げたのである。
成立背景 : 平野 貴俊 (568文字)
《アーメンの幻影》が初演された当時、パリはドイツ軍による占領下のただ中にあった。演奏会はその間も活発に催されていたが、オペラ座ではカラヤン率いるベルリン国立歌劇場がヴァーグナーのオペラを上演し、演奏会プログラムからはユダヤ系作曲家の作品が排除されるなど、音楽界の様相は次第に戦時色を濃くしていった。こうした状況を受けて1942年に始まったのが、『フランス新評論』や『プレイアッド叢書』の刊行で知られるガリマール社主催によるプレイアッド演奏会シリーズである。同社社長ガストン・ガリマールは、パリの名士たちが集う一種のサロンを作りたいと願っていた。演奏会の運営を担っていたガリマールの友人ドゥニーズ・テュアルは、1942年秋に聖トリニテ教会で偶然耳にしたメシアンの演奏に心を奪われ、プレイアッド演奏会のための作品を彼にぜひ委嘱したいと申し出た。この委嘱を快諾したメシアンは早速作曲に取りかかり、1943年3月中旬に《アーメンの幻影》を完成、4月半ばにはロリオとの練習を開始した。1943年5月10日にシャルパンティエ画廊で行われた初演は、オネゲル、プーランク、ヴァレリー、コクトー、ディオールといった名だたる文化人が見守るなかで行われ、第1ピアノをロリオ、第2ピアノをメシアンが担当した。楽譜は1950年3月にデュラン社から出版されている。
創造のアーメン
総演奏時間:6分00秒
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星たちと環のある惑星のアーメン
総演奏時間:5分40秒
イエスの苦しみのアーメン
総演奏時間:7分20秒
願望のアーメン
総演奏時間:10分20秒
天使たち、聖人たち、鳥たちの歌のアーメン
総演奏時間:7分30秒
審判のアーメン
総演奏時間:2分50秒
成就のアーメン
総演奏時間:8分00秒