総説
本作品にまつわるシューベルトの自筆資料としては自筆の下書きが遺されており、「1818年4月」との記載がある。未完成の2つの楽章を含んだこの自筆譜において特筆すべきは、以下の2点である。1つ目は、作曲を中断した箇所である。シューベルトは未完作品において、基本的に形式区分の末尾で筆を置くことが多く、具体的には展開部末や再現部冒頭で作曲を中断することが多い。それに対して本楽曲の第1楽章では、まだ同じ五線紙の下部分に空きがあるにもかかわらず、展開部の半ばにあるロ音上の属七和音で、未解決のまま筆が置かれている。2つ目は、冒頭楽章とは別のもう一つの楽章に速度標語が欠けているため、中間楽章か最終楽章か判別がつかない点である。ただし当該楽章の形式やテクスチュアは最終楽章のそれを示唆しており、これまでのシューベルト研究においても、中間楽章より最終楽章と考える見方が一般的である。
本ソナタの緩徐楽章として、ホ長調のアダージョD 612を補う見解もある。このアダージョが本ソナタと同じ1818年4月に作曲された点、アダージョの主題が第1楽章の展開部(第87小節~)の主題と相似している点、アダージョのホ長調が、第1楽章の作曲が中断されたロ音上の属七和音の解決する調である点などは、両者の密接な関係性を示しているように見える。その一方で、アダージョの自筆譜にはタイトル、作曲日、作曲者のサインが書かれており、シューベルトはこれらをソナタの中間楽章に書き込む習慣がなかったという事実は、両者が一つのソナタとして構想された可能性を否定する。また、自筆譜に用いられた紙の透かし調査によると、アダージョD 612とソナタD 613に用いられた紙は、似ているものの同じではないという結果が出ているため、どちらの説にとっても決定的な証拠とはならない。
なお本楽曲は、『新シューベルト全集』に基づくベーレンライター版では通し番号のない補遺として扱われ、マルティーノ・ティリモ校訂によるウィーン原典版では第11番という通し番号が与えられている。
各曲解説
第1楽章:モデラート、ハ長調、4分の3拍子
ソナタ形式を取るが、主調領域と属調領域の間に三度調を挟み、提示部の緊張をなくすという後年のシューベルトに典型的な構造をもつ(詳細はピアノ・ソナタ第21番D 960の解説を参照)。
第1主題は静かなハ長調で始まり、12小節の主題が2回変奏される(第14小節~、第25小節~)。第1主題領域は、属調の属和音であるニ音上の属七和音へと向かい(第39小節)、属調での第2主題を予期させるが、実際には変ホ長調で第2主題が提示される(第41小節)。第62小節で再び現れたニ音上の属七和音に導かれ、第68小節からト長調で第3主題となる。ただし、この主題はホ短調へと逸脱するため、ト長調が確定するのは第78小節からのコーダとも呼べるセクションへと先送りされる。
展開部は変イ長調で始まり(第87小節)、第3主題のように、十六分音符の装飾的な伴奏と長い音価の旋律からなる。ヘ短調を経て変ニ長調へと転じると、第3主題の冒頭動機が繰り返し用いられる(第102小節)。ヘ短調を経て再び変イ長調に回帰した後、転調の真っ只中で解決しないまま、第121小節で筆が途切れている。
2つ目の楽章:速度標語なし、ハ長調、8分の6拍子
上述の通り、自筆の下書きには速度標語が欠けているが、動的な8分の6拍子からはアレグレットが想定されよう。本楽章も、大枠では第1楽章と同じようなソナタ形式を取っている。
第1主題領域はハ長調を取る。8小節の主題のあと、ホ短調の旋律が中間部のように現れ、シューベルトに典型的な長短調のせめぎ合いが見られる(第14小節)。冒頭主題が主調で回帰して、第1主題領域を閉じる。第1主題領域が三部形式を取る点は、冒頭楽章のソナタ形式より中間楽章の形式や最終楽章のロンド形式に近似している。
第1主題領域に続き、ファンファーレ風のハ短調の楽節が力強く鳴り響く(第32小節)。この楽節が変ホ長調で繰り返され(第36小節)、移行部を挟んで変イ音に辿り着くと、それを異名同音で嬰ト音と読み替え、第2主題領域がホ長調で提示される(第47小節)。この穏やかな第2主題がひとしきり続くと、ハ長調(第65小節)を蝶番としてト長調がほのめかされる(第68小節)。完全終止を経て、ト長調で第3主題兼コーダが現れて提示部を閉じる。このように、冒頭の主題と提示部を締めくくる主題の間に三度調が挟まれる構造は、第1楽章と相似する。
展開部は変ホ長調で始まる。変ニ長調(第105小節)のセクションを挟み、第121小節でト長調が現れると、ハ長調での再現が予示される。自筆譜には第126小節から左手の記載がなくなり、第134小節の第1音であるト音(再現部の第1音と考えられる)が書かれたところで筆が置かれている。