ベルリンから帰国後、山田耕筰は、留学時代からの友人であった劇作家小山内薫らと舞踊芸術運動を起こそうと考えていた。それは、1912 年 12 月、ベルリン滞在中にドビュッシーの《『牧神の午後』への前奏曲》にニジンスキーが振り付けをした舞台を繰り返し見ていたこととも無関係ではない。帰国後の山田は、ピアノ曲としての性格だけでなく、舞踊音楽としての性格を内包する作品を手掛けるようになっていった。
1915 年 7 月《若きケンタウル ― 5 つの ポエム》は、『牧神の午後』の主人公と同じく半人半獣の種族をテーマとしている。作曲当時は楽譜上に「舞踊曲 Ballet」と書き込まれていたが、1916 年 11 月 11 日の演奏会のプログラムノートには「舞踊詩」という名称で作品が紹介され、作曲者自身のピアノで初演された。本作は、その後山田が舞踊詩への活動を本格化させる中で、舞踊運動の原点に位置する作品として考えられる。全 5 曲からなる。1922 年、ボストンのオリバー・ディットソン社から出版された自選ピアノ曲集『音の流れ』には第 1 曲と第 4 曲のみが収録された。全曲は春秋社の新全集にて刊行された。