ベートーヴェンにおいて、1802年は「ハイリゲンシュタットの遺書」の年として知られている。耳の病をはじめとした身の回りの不幸な出来事から、真剣に自殺を考えたベートーヴェンであるが、創作の面では3曲の『ヴァイオリン・ソナタ』Op.30を書き上げるなど、意外なほどに充実している。
Op.31として出版された3曲のソナタは、着手と完成の時期が定かではないものの、1802年4月22日に弟のカールがブライトコップ社へ3曲の売り込みの手紙を書いていることから、この時点で少なくとも1曲は完成されていたか、またはそれに近い状態であったことがうかがえる。
第1楽章 ト長調 4分の2拍子 ソナタ形式
(提示部)
16分音符1つ分のアウフタクトをもつ、極めて特徴的な動機によって開始される主要主題(第1~11小節)は、このリズム動機と半音階的変化を含んだ16分音符の下降音型からなる。この主題は、すぐに長2度下のヘ長調で確保(第12小節~)され、下降音型の即興的展開を経て主調にてもう一度確保(第46小節~)される。
推移(第55~65小節)の後にあらわれる副次主題(第66~73小節)は、主調(ト長調)の長3度上にあたるロ長調である。平行短調のロ短調で確保(第74小節~)され、コーダ(第98小節~)はそのままロ短調で閉じられる。
(展開部+再現部)
展開部(第114[115]小節~)においては、まずリズム動機が幅広い音域に拡大されて繰り返された後、下降音型が即興的な展開によってパッセージ化される。主調の属和音をアルペジオで駆け巡ると、リズム動機が付点リズムの二音(属音)と4分音符で刻まれる属和音によって引き伸ばされ、音量を最弱音ppへと落としつつ再現部を準備する。
再現部は(第194小節~)最強奏ffによって決然と開始される。確保部分は省略され、すぐに推移となるが、副次主題を主調で回帰させるために必要な下属調を経由する措置は取らず、まずホ長調/ホ短調で副次主題を回帰(第218小節~)させる。そしてホ短調による(提示部における)確保部分の後半(第232小節~)を変化させることで、ようやく主調で副次主題があらわれる。
このソナタにおいてもコーダはやはり拡大され、主要主題の回帰、下降音型のパッセージ、属和音のアルペジオを経て、リズム動機の発展のうちに楽章を閉じる。
第2楽章 ハ長調 8分の9拍子
自由な幻想曲的性格の緩徐楽章で、ロンド風に主題が幾度も回帰する構成をとっている。
長めのトリルと半音階上行音型を特徴とする主題は、この後計3度回帰することになるが、1度目と3度目の回帰はカデンツァ風のパッセージを経ての回帰となる。このようなカデンツァ・パッセージの挿入は、Op.27に見られるように、この楽章が「幻想曲的」なものであることを物語っている。
第3楽章 ト長調 2分の2拍子 ロンド
Rondoと記されているが、ソナタ風のロンドである。
多声部書法によるロンド主題(第1~16小節)は、属音の保続音によって特徴づけられている。低声部での主題確保(第16小節~)には8分3連音符の装飾的楽句を伴い、これは続いてあらわれる属調主題の動機となる。
最初のロンド主題回帰(第66小節~)では、伴奏音型が8分3連音符による分散和音よなり、転調を繰り返して発展した後の2度目の回帰(第132小節~)では、主題はオクターヴ化され、伴奏音型は8分3連音符によるオクターヴのトレモロへと変容する。
コーダでは、ロンド主題の動機がAdagioとTempo Primoで交互にあらわれる。やがてPrestoとなり、主音上に属音の長いトリルを伴ってロンド主題の冒頭動機が執拗に反復して楽曲を閉じる。
幻想曲風の中間楽章や、ロンド・ソナタ形式によって拡大されたフィナーレは、Op.27やOp.28から引き継がれた様式であると言って良さそうだが、フィナーレのコーダにおけるテンポの変化はOp31-2(テンペスト・ソナタ)において、一層様式化されてあらわれる。
また、第1楽章における主要主題の長2度下での反復や、主調の長3度上をとる副次主題の調性選択は、Op.53(ワルトシュタイン・ソナタ)をたしかに予感させる。だがこのソナタでは、この特徴的な確保の省略や、ストレートに行かない副次主題の再現など、大いに課題を残しており、まだ実験段階だったということがうかがえる。