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スクリャービン :ピアノ・ソナタ 第10番 Op.70

Scriabin, Alexander:Sonata for Piano No.10 Op.70

作品概要

作曲年:1913年 
出版年:1913年 
初出版社:Jurgenson
楽器編成:ピアノ独奏曲 
ジャンル:ソナタ
総演奏時間:13分30秒

解説 (1)

解説 : 山本 明尚 (2113文字)

更新日:2020年6月13日
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作曲経緯

1912年の冬、スクリャービンはピアノ・ソナタ第89・10番に一挙にとりかかり、そのうち10番に関しては1913年の春に完成させた。楽譜は1913年の9月に出版され、9番と一緒に1913年の露暦12月12日(西暦25日)に行われたスクリャービン・リサイタルで初演された。作曲家の晩年の友人として知られる作曲家・批評家・音楽学者レオニード・サバネーエフは、スクリャービンがこの曲への強い愛着を持っていたと語っている。1925年の『スクリャービン回想』で彼は、「[1913年の]春、彼が頻繁に演奏していたのはソナタ第10番の断片と、当時出来上がりつつあった第8番であった」と、往時の記憶を辿っている。

同じくサバネーエフは、初演の一ヶ月以上前の1913年10月末にモスクワで出版されていた週刊誌『音楽』に論文を寄稿し、本作を含む8番以降の三作のソナタに対する論述と簡単な分析を行っている。これらの言説はおそらく、スクリャービン自身から直接楽曲の内容を取材し、記述の監修をある程度受けたものと思われ、これからリサイタルを控えたスクリャービン作品の宣伝も兼ねていたものであろう。そこで著者は、和声組織の響きの明瞭さや、10年前に書かれたピアノ・ソナタ第4番にも似た輝かしい光彩という第10番の魅力的な側面を読者に伝え、後年人気を勝ち取る作品になる、と予測を行っている。サバネーエフが感じ取ったとおり、この作品には6番以降の後期ソナタのなかでも、協和音の響きが目立ち、また旋律と伴奏の関係が聞き取りやすく、親しみやすい作品になっている。ただ、単純に聞こえるということは、単純に書かれているという意味ではない。響きや和声組織の単純性は、スクリャービンが後期作品の軸になっている技法に熟達し、その厳格さから一歩発展したところからもたらされたものである。

なお、この楽曲は全体に目立つトリルのモチーフをとって、死後(主にロシア国外で)「トリル・ソナタ」や、サバネーエフの先述の回想記での「証言」や、それを引用したバウアーズによる有名な伝記に「昆虫、蝶、蛾は、命を吹き込まれた色彩ですよ。ほとんど触っていないような、非常に繊細な愛撫です……。彼らは太陽で生まれ、太陽が彼らを育てるのです……私に一番近しい、太陽の愛撫です。ソナタ第10番にみられるのはこのようなものです。ぜんぶが昆虫からできたソナタなのです」というスクリャービンによる自作紹介が掲載されたことより、「昆虫のソナタ」という愛称で親しまれるようになった。

内容

スクリャービンの後期ソナタの常として調号は欠いており、調性の枠を超えた、スクリャービン独自の和声論によって組み立てられた作品である。その一方で全体として、序奏を持つソナタ形式という伝統的な構造を取っている。

緩やかな序奏は、2つの楽段を主軸としている。第一のものは、「非常に甘美に、純粋に très doux et pur」と示された、静かで薄いテクスチャによる。それに続く第二のものは、「深い、ベールに覆われた熱情を持って avec une ardeur profonde et voilée」 と示されており、旋律と伴奏との半音階による反進行とが軸となっている。これらは提示部以降も楽曲全体でしばしば用いられ、楽曲の基調をなす重要な要素の一つになっている。「きらびやかに震えて lumineux vibrant」と記された3度上行+トリルの動機が三度にわたって奏でられると、楽曲はアレグロの提示部へと移行する(サバネーエフの回想によると、スクリャービンはこの部分を特に好んでいたという)。

提示部冒頭で示される第一主題は、半音階下行の旋律と素早い分散和音による伴奏による躍動感をもったものである。71小節からはじまる第二主題は、序奏的なトリルと、浮き上がるような印象を受ける旋律線とトレモロとが組み合わされた基本単位となっている。このトレモロは主旋律より高音で奏され、楽曲にきらびやかさを与えている。

やや緩やかなコデッタを受けて続く展開部(116〜223小節)は、大まかに3つの部分に分かれている。第1部は穏やかに始まるが、徐々に高揚感を増し、執拗に繰り返される半音階上行は序奏の第二の動機の発展であり、聴き手を高揚へと導いていく。158小節で第2部が始まる。第一主題の動機がせわしなく繰り返され、次第に静まっていく。184小節目からは序奏の第二の楽段が繰り返し高揚しながら変容し、トレモロによる眩いばかりの最高潮へと至る。

再現部は基本的にソナタ形式の型通りの2つの主題の再現であるが、トリルやトレモロなどによる装飾が施され、再現部の光輝が保たれている。306小節から始まるコーダは、「震えて、羽根を持って frémissant, ailé」の指示通り、きわめて軽快である。徐々に速度を増し、プレストにまで至るが、急激に勢いを失っていき、「徐々に消え行く甘美な気だるさをもって avec une douce langueur de plus en plus éteinte」、序奏の第一の動機により、静かに幕を閉じる。

執筆者: 山本 明尚