総説
本ソナタは、シューベルトの自筆譜が消失しており、信頼のおける筆写譜(ヴィテチェク=シュパウン)によって伝承されている。この筆写譜には「1818年9月」と記されており、シューベルトがハンガリー貴族エステルハージ伯爵の音楽教師として雇われたツェレス(Zseliz)滞在中に作曲したと想定される。
本ソナタの筆写譜には緩徐楽章が含まれていないが、作曲者の兄フェルディナントから出版商ディアへ渡ったとされる手書きのシューベルト作品目録には、変ニ長調のアダージョD 505が本ソナタの緩徐楽章とされている。2つの中間楽章の順序について、ヘンレ版を校訂したパウル・バドゥラ=スコダは、アダージョを第2楽章にした場合、ゆっくりした2つの楽章と速い2つの楽章が隣り合わせになってしまうため、アダージョを第3楽章に置くことを提案している。
なお『新シューベルト全集』(ベーレンライター版)は、スケルツォ以外の2つの楽章を草稿段階と捉え、本ソナタを通し番号のない補遺に収めている。
各曲解説
第1楽章:アレグロ、ヘ短調、4分の4拍子
シューベルトは、ピアノ・ソナタ嬰ヘ短調D 571の第1楽章において、冒頭楽章を抒情的な主題で始めることを試みており、本楽章も同様の構想を持って作曲されたと考えられる。
本楽章は、ソナタ形式を取る。第1主題領域は、導入部の役割を持つセクションが主題のユニゾンで提示された後、八分音符による分散和音の伴奏に支えられ、冒頭で提示されたヘ短調の主題が主旋律として抒情的に奏でられる(第15小節)。第22小節から平行調である変イ長調が片鱗を見せ、第30小節では第15小節で提示された主題が変イ長調で奏される。第38小節では、旋律を左手が引継ぎ、右手が三連符による新たな伴奏形を奏する。ホ長調を挟みつつ(第54小節)、第64小節や第68小節から変イ長調で新たな主題が提示されて提示部の幕となる。このように、調構造を見れば提示部は大きくヘ短調領域と変イ長調領域から成るが、変イ長調における新たな主題は提示部末になってはじめて登場する。
展開部は変ニ長調で始まり、第83小節から提示部の第2主題を用いて展開する。この主題を背景として、第90小節では冒頭主題が組み合わされる。ここには両主題を組み合わせて展開部を構築するというシューベルトの新たな試みが見て取れよう。そして、主調による再現部の冒頭で筆が置かれている。
中間楽章:スケルツォ:アレグレット、ホ長調、4分の3拍子
主部(ABA’)―トリオ部(CDC’)―主部のダ・カーポという、舞踏楽章に典型的な複合三部形式を取る。
主部のA部はホ長調で始まり、8小節の楽段を一まとまりとして、同じリズム形がもう2回繰り返され、ロ長調に終止する。この冒頭24小節は、左手が旋律を引継ぎ、右手が音階による新たな伴奏音形を担うよう変奏された形で、もう一度奏される。
B部はロ音から半音離れたハ音で始まり、これを属音としてヘ長調で進行する。第61小節では、八分音符の分散和音を取る左手の伴奏に支えられて、新たな主題が右手に現れる。両手が交代すると異名同音による転調を重ね、第87小節において主調で冒頭主題が回帰する。この主題再現(A’部)では、最初の8小節は変奏なし、次の8小節は右手が音階を奏する変奏形、そして最後の8小節は主調に留まるよう和声的に調整された変奏形で冒頭の24小節が回帰し、主部を閉じる。
動的な八分音符による主部に対して、トリオ部は二分音符と四分音符を主体とする。C部はイ長調に始まり、ホ長調へと転じる。トリオ部の中間部であるD部は、ホ長調より長三度上のト長調で始まり、6小節の間に短2度下の嬰へ長調へと転調する。この6小節(ト長調―嬰へ長調)は、長三度上(ロ長調―嬰イ長調)でゼクエンツとして繰り返され、更に長三度上の嬰ニ長調を読み替えた変ホ長調で総休止となる。これに続き、C部の主調が回帰してトリオ部を締めくくる。
最終楽章:アレグロ、ヘ短調、4分の2拍子
3つの主題を持つソナタ形式で書かれている。
冒頭は、疾風怒濤を思わせるヘ短調の緊迫した十六分音符の動機で始まる。この動機はユニゾンで提示された後、第13小節から伴奏として左手に引き継がれる。これを背景として、右手にシンコペーションによる旋律が現れる。この旋律が8小節ほど続くと、再びユニゾンとなったのち、同主長調であるヘ長調で新たな主題が提示される(第27小節)。この第2主題は、十六分音符の動きが止まることで、第1主題とコントラストが付けられている。第2主題は、三連符による新たな伴奏を伴って再度提示され(第43小節)、変イ長調へと向かう(第55小節)。第2転回形の和音の連続や変イ短調の挿入によって当初は調性が安定しないが、第73小節において、第2主題を基にした動機素材による主題が変イ長調で現れる。この部分は、長さからすると小結尾部と呼ぶにふさわしいが、平行調による主題提示という点では、ソナタ形式の第3主題とも解釈できる。
第97小節に始まる展開部は二部分から成り、まず前半部は第1主題の素材の操作によって展開される。第129小節から後半部となり、新たな主題が変ロ長調で提示される。変ロ短調、変ト長調、嬰へ短調、イ長調へと目まぐるしく転調を重ね、第175小節から再現部となる。
再現部における第1主題領域は、対旋律の追加や旋律変奏といったように、単なる再現にはとどまらない工夫がなされている。こうした書法は、冒頭楽章のソナタ形式より中間楽章の形式や最終楽章のロンド形式に用いられることが多いことから、本楽章はソナタ形式の枠組みを援用しつつも冒頭楽章と差別化が図られていることが分かる。第201小節から第2主題が変イ長調で回帰する。この部分から、筆写譜では数小節を除いて右手のみ記されているが、第271小節からのコーダでは両手が再び書かれているため、再現部第2、第3主題の左手は提示部と同じため省略するというシューベルトの習慣が見て取れる。第3主題はヘ長調で回帰し(第247小節)、変イ長調への転調(第255小節)を経て、冒頭の十六分音符のユニゾンがヘ短調で回帰し(第271小節)、クレッシェンドの後、へ長調で静かに曲を閉じる。