諸井 三郎 1903-1977 Moroi, Saburo
解説:須藤 英子 (852文字)
更新日:2018年4月19日
解説:須藤 英子 (852文字)
1903 年、東京に生まれる。幼少期よりピアノに親しみ、小学生の時に独学で作曲を試みる。 中学生の頃、ベルリン留学から戻ったピアニスト・小倉末子の帰国リサイタルにて、ベートー ヴェンのピアノ作品に感銘を受け、以後本格的に作曲を志す。
東京帝国大学(現・東京大学)美学美術史科在学中の 1927 年、文学の中島健蔵らと「スルヤ 楽団」を結成。7 回にわたって作品発表会を開き、ピアノ・ソナタやピアノ協奏曲などを発表 する。形式を重視する器楽作品に焦点を当てたその活動は、歌曲やオペラが主流だった当時の 日本の作曲界にあって、先駆的なものであった。 また大学在学中、ピアノをヴィリ・バルダスと レオニード・コハンスキに師事。卒業論文の題目は、「音楽形式の原理」。
1932 年、ドイツ・アカデミズムの習得を目 指し、29 歳で渡独。ベルリン高等音楽学校にて、レオ・シュラッテンホルツ、マックス・トラッ プ、ヴァルター・グマインドルに作曲を師事す る。2 年間修業に励み、1934 年に帰国。その後、《交響曲第 2 番》(1938)、《ヴァイオリン協奏曲》 (1939)、《弦楽六重奏曲》(1939)、《ピアノ・ソナタ第 2 番》(1939)、《交響的二楽章》(1942)、 《交響曲第 3 番》(1944)など、確固たるヨーロッ パ的形式美に支えられた大作を、次々と発表した。
戦後は、社会的活動に献身。文部省社会教育視学官、東京都交響楽団長、洗足学園大学音楽学部長などを歴任した。同時に、著作や教育を通して、論理的・構築的作曲の普及にも取り組んだ。著作には『機能和声法』、『楽式の研究』 全 5 巻など、門下生には入野義朗、矢代秋雄、 團伊玖磨、柴田南雄らがいる。作曲活動は下火となるものの、《交響曲第 4 番》(1951)ではロ シア音楽の素材を用い、最晩年の《ピアノ協奏 曲第 2 番》(1977)では 12 音技法による作曲を 試みるなど、最後まで創作への意欲を持ち続けた。1977 年、73 歳で死去。
作品(34)
ピアノ協奏曲(管弦楽とピアノ) (2)
協奏曲 (3)
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ピアノ独奏曲 (8)
ソナタ (10)
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幻想曲 (3)
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変奏曲 (4)
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★ 種々の作品 ★ (7)
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