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柴田 南雄 1916-1996 Shibata, Minao

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  • 解説:仲辻 真帆 (2087文字)

  • 更新日:2018年4月20日
  • 柴田南雄は、近現代日本の音楽界に重要な問題提起をした作曲家で、音楽評論や音楽学の領 域でも活躍した。『ニューグローヴ世界音楽大事典』 (講談社、1993~95年)総監修者の一人でもある。

    1916(大正5)年9月29日、東京で生まれる。父・雄次は化学者、祖父・承桂は医薬品の規格基準を定める日本薬局方の草創期を支えた人物である。柴田南雄は、小松耕輔の門下生であった母からピアノの手ほどきを受け、音楽愛好家であった従兄の徳永康元(ハンガリー語学者として知られる)の影響を受けて音楽に親しんだ。 ピアノを岩井貞麿、ジェームス・ダンに、チェロを鈴木二三雄に、和声や対位法、作曲理論を細川碧、諸井三郎にそれぞれ師事した。

    1936(昭和11)、東京帝国大学理学部植物学科に入学。大学ではオーケストラに所属してチェロを演奏した他、成城合唱団の団員としても活動した。1939年から2年間、東京科学博物館(現在の国立科学博物館)に勤務したが、 1941年には東京帝国大学へ再入学して文学部美学美術史学科で美学を専攻した。1943年から約1年間、理研科学映画社に勤務し、1944 年からは日本音楽文化協会で仕事をする。 柴田の最初期の作品は1940年代前半に作られており、童謡《夜のお祈り》 、《男の子と女の 子》、歌曲《冨士龍》 、《燕の歌》 、歌曲集《海四章》 の他、器楽曲では《弦楽四重奏曲第1番》 、 《ピアノのための変奏曲》 、 《ピアノ・ソナタ》などを完成させた。

    1946年、入野義朗、戸田邦雄、別宮貞雄らと「新声会」を結成。1950年まで作品発表の場となった。また同年より7年間、東京音楽書院の嘱託として合唱曲を多数編曲した。1947 年にはNHK「名曲鑑賞の時間」においてC. ドビュッシーの《ペレアスとメリザンド》について解説。この初めての放送解説以後、NHK第2放送「音楽入門」なども担当し、当時の音楽界に大きな影響を与えた。1948年に、齋藤秀雄、井口基成らと「子供のための音楽教室」 (現在の桐朋学園大学音楽学部附属施設)を開設。1949 年からは『音楽芸術』誌にB. バルトーク論の連載を始める。

    1940年代後半には、柴田の代表作品の一つに数えられる《優しき歌》が完成した。他に、 弦楽四重奏曲や合唱曲も作曲している。

    1950年前後からは、P . ヒンデミットやR. レイボヴィッツの著書を手がかりとして、入野義朗とともに12音技法の研究を深めていく。 1957年に吉田秀和らと「20世紀音楽研究所」 を創設。前衛音楽の旗手としての一面を呈していく。柴田が12音技法を用いて作曲した代表的な作品に《朝の歌》(1952年)、《北園克衛による3つの詩》(1954~58年)、《シンフォニア》(1960年)があり、偶然性、不確定性を取り入れた作品には《夜に詠める歌》(1963年)、《み仏の春》(1966年)、《ピアノのためのインプロヴィゼーション第2》(1968年)などがある。

    1950~60年代には、教育活動も本格化した。 1952年から桐朋女子高校で学科主任を務め、 同年にお茶の水女子大学教育学部音楽科の講師となる。1959年から10年間は、東京藝術大学音楽学部楽理科でも教壇に立った。

    1969年に教職を辞し、以後は創作活動に重心を置きつつ、レコードや演奏会の批評、古典音楽の研究、日本の民謡採集などへ取り組んで ゆく。1973年に初演された《コンソート・オブ・ オーケストラ》で尾高賞を受賞。ここから柴田の作曲は、「西洋音楽演習」あるいは「西洋作曲様式実習」から、日本の民俗芸能や伝統音楽 をとりこんだ多様式の音楽へと変化してゆく。

    1973年に代表作品の一つとなる《追分節考》 を発表し、2年後には昭和期の音楽界と自身の 創作変遷を重ねた《ゆく河の流れは絶えずして》 が初演される。1975~80年にかけて、《萬歳流し》、《北越戯譜》、《念仏踊》、《修二会讃》、《宇宙について》、《布瑠部由良由良》などが作曲された。1973年以後に発表された日本の民俗芸能、社寺芸能を素材とする一連のシアター・ピースは、音楽の概念そのものへの再考を迫る革新的な作品と言うことができる。柴田は、シアター・ピース作品の上演により、1982年にサ ントリー音楽賞を受賞。同年には紫綬褒章も受けている。

    1984年から6年間、放送大学の教授を務めた。柴田による講義「音楽史と音楽論」は、従来の西洋音楽を中心に据えた音楽史記述を脱し、西洋音楽と東洋・日本の音楽を並列的に提示した点で画期的であった。1992年には文化功労者として表彰され、1996年、叙正四位、 叙勲二等授瑞宝章を受ける。同年2月2日に逝去した。

    柴田南雄が創作活動に専心していた頃、前衛 の「時代」が終わり、ポスト・モダンと呼ばれ る「時代」へと移行した。慧眼をもって、それぞれの時代や様式を総合的に再構成していった柴田。「引用」や「間テクスト性」といった手法に接触しながら、「作曲」そのものを再検討させる創作を試行した。

    執筆者: 仲辻 真帆
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    解説 : 須藤 英子 (366文字)

    更新日:2007年4月1日
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    About composer : 仲辻 真帆 (6829文字)

    更新日:2018年4月20日
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    作品(8)

    ピアノ合奏曲 (1)

    性格小品 (1)

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