フォーレ : 歌劇「黄色い王女」序曲 連弾版(原曲:サン=サーンス)
Fauré, Gabriel : Ouverture de "La princesse Jaune" (Transcription pour Piano à 4 mains par Gabriel Fauré)
作品概要
解説 (1)
解説 : 林川 崇
(1044 文字)
更新日:2026年10月11日
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解説 : 林川 崇 (1044 文字)
サン=サーンスは1865年に4幕からなる「銀の鈴」で初めてオペラを完成させたが、これがリリック座、オペラ座、と上演決定後の中止が繰り返され、さらにその後オペラ・コミック座での上演が決まってリハーサルが進められていたにもかかわらず、1870年の普仏戦争勃発のあおりで、またもや上演中止になった。そこでオペラ・コミック座の支配人カミーユ・デュ・ロクル(1832~1903、ヴェルディの「ドン・カルロ」と「アイーダ」の制作に関わったことでもオペラ史に名を残している)が、補償として1幕物の新作オペラをサン=サーンスに提案した結果作られたのが「黄色い王女」で、サン=サーンスにとって初めて上演されたオペラとなった。
「黄色い王女」の舞台自体はオランダであるが、コルネリスが日本の絵に描かれた女性に現を抜かしていてレナが嫉妬することから起こる話であり、日本を表すために日本語の歌詞(開幕直後のレナのアリアには「万葉集」からの一節が引用されている)や、中国風の旋律が取り入れられている。これが期せずして音楽におけるジャポニスムの走りとなり、以降19世紀だけでも、サリヴァン、メサジェ、マスカーニ等が日本を舞台にしたオペラ(ないしはオペレッタ)を発表し、バレエにおいても、日本を舞台にした新作がフランスやロシアで作られた。幻に終わったチャイコフスキー4作目のバレエとして計画されていたのも日本のおとぎ話に基づく「ワタナベ」であり、台本は完成していた。
1872年6月12日に行われた「黄色い王女」の初演は批評家から酷評され、上演は5回で打ち切られたが、このオペラを高く評価した一人がサン=サーンスの弟子のフォーレであった。彼は序曲について、1880年にこの連弾版を作った他、1887年には2台8手のための編曲も作り、後者は1898年10月20日、その4日前に亡くなった「黄色い王女」の台本作者ルイ・ガレ(1835~1898、マスネの「ル・シッド」や「タイス」の台本も書いた)を追悼して、サン=サーンス、フォーレ、パリ音楽院の名教授ルイ・ディエメール(1843~1919)とその弟子で後の巨匠ピアニストのアルフレッド・コルトー(1877~1962)の4人で演奏された。
「黄色い王女」序曲は、コルネリスが東洋への憧れを歌うアリアによる序奏と、やはりコルネリスが夢の中で日本を思い描く場面の音楽(一部は日本語で「アナタワドーナサイマシタ」「コニチワヨイテンキデゴザイマス」と歌われる)を用いた主部からなっている。
