1937年のパリ万博は、不穏な国際情勢下で開幕しながらも、趣向を凝らした各国の出展が話題を集めて盛況となった。万博の開催を記念し、マルグリット・ロンが中心となって2種のピアノ曲集が企画刊行された。1つはフランス人作曲家8人(オーリック、ドラノワ、イベール、ミヨー、プーランク、ソーゲ、シュミット、タイユフェール)の作品を集めた “À l’Exposition” (博覧会にて / Deiss 刊)、もう1つはパリ在住の外国人作曲家9人(チェレプニン、マルティヌー、モンポウ、リエティ、オネゲル、アルフテル、タンスマン、ミハロビッチ、ハルシャニー)の作品を集めた “Parc d’Attractions-Expo 1937” (1937年万博の遊園地 / Max Eschig刊)である。「万博の遊園地」とは、各国のパビリオンとは別に万博会場に設けられた遊興区画を指す。いずれも各作曲家の個性が発揮されていることに加え、戦間期最後の歴史的イベントの種々の場面をあざやかに活写した記録となっており興味深い。
タンスマンは《1937年万博の遊園地》に寄せて《巨人》を書いた。マルグリット・ロンへの献呈。アンダンテ・ペザンテ、4分の4拍子、2ページの小品である。一応はロ短調とみられるが、調号はなく安定しない。譜面には「巨人の入場」「口上」「退場」と小さく注意書きがある。のっそりと姿を現し、ぶつくさと何やら言ってから、出てきた時と同じ足どりで引っ込んで行く様子を抑制した筆致で描く。上述の2種の万博ピアノ曲集を1988年にレコーディングしたピアニスト、ベネット・ラーナーによると、本作はサーカスのアトラクションの一場面を描いたものだとタンスマンが説明したという。成立年代からすると、スティルト(西洋竹馬)を履いて足長人間になる大道芸の類いででもあったか。1937年8月、パリの国際舞踏資料会館(Salle des Archives Internationales de la Danse)にて作曲者自身により初演された。1938年11月28日にはロン門下で当時13歳のニコル・アンリオ(Nicole Henriot)がサル・ガヴォーにて再演した。アンリオはのちにアルベルト・シュヴァイツァーの甥と結婚してニコル・アンリオ=シュヴァイツァーを名乗り、戦後本格的な演奏活動を開始、ミヨーの《協奏的組曲》Op. 278b(マリンバ・ビブラフォン協奏曲Op. 278のピアノ協奏曲への改作)を献呈され初演するなどした。