
解説:樋口 愛 (825文字)
更新日:2007年10月1日
解説:樋口 愛 (825文字)
ボヘミアのポリチュカ生まれ。チェコの作曲家。内向的な性格で、幼少の頃から、音楽面ではかなりの才能をみせていた。1900年から作曲を始め、数多くの室内楽曲をのこした。
1906年にプラハ音楽院のヴァイオリン科に入学したが、オルガン科に移され、1910年には「矯正不可能な怠慢」を理由に退学処分となった。第一次世界大戦中はポリチュカで音楽教師をしながら、歌曲、ピアノ組曲、音詩、バレエ作品、メロドラマなど、120の作品を書いた。1919年にカンタータ《チェコ狂詩曲》でスメタナ賞受賞。1923年、パリに赴きルセルに対位法を学ぶ。フランス六人組やストラヴィンスキイに影響を受けた作品を作曲。また作品に故郷のチェコ民謡などをバロック調に仕上げた作品ピアノのための《3つのチェコ舞曲》など作曲した。1940年ナチスから逃れるためアメリカに亡命。亡命中の厳しい状況の中でも、ピアノのための幻想曲とトッカータ、シンフォニエッタ・ジョコーザ、ソナタ・ダ・カメラを書いた。アメリカに亡命しても彼の心はいつも故郷のチェコスロヴァキアにあった。しかし、終戦をむかえても、1948年に共産党政権樹立により帰国は出来ず、そのままアメリカのプリンストン大学で作曲を教えることとなる。この頃から15の室内楽曲やシンフォニア・コンチェルト、交響曲第六番など多数の作品を遺した。1953年にはヨーロッパに戻り、祖国の思いを込めた作品に没頭した。作風はアメリカなど国外生活が長かったにも関わらず、チェコ人としての音楽に誇りを持ち続け、チェコ民謡を用いた作品が多く遺されている。また、ドビュッシーの音楽にも影響を受け、彼もまた音色に対する鋭い感性を持っていた。後に新古典主義に入り、18世紀から20世紀の作風で枠にとらわれない自由な作品を遺した。彼は常に新しい音楽表現を模索し、遂行しようとした。主な作品として、交響曲、バレエ曲、管弦楽曲、協奏曲、室内楽曲、ピアノ曲、歌曲、歌劇などである。
作品(59)
ピアノ協奏曲(管弦楽とピアノ) (2)
協奏曲 (11)
管弦楽付き作品 (3)
ピアノ独奏曲 (9)
曲集・小品集 (13)
種々の作品 (17)
ピアノ合奏曲 (4)