活動拠点をアメリカに移すことを決めた山田耕筰は 1917 年 12 月 17 日に横浜港を発つ。乗船後ほどなくして体調を崩して一時的にハワイ で療養したのち、翌年 1 月 14 日にサンフランシスコに到着した。体調はしばらくよくならなかったものの、連作歌曲《澄月集》の出版を行い、カーネギーホールで演奏するなど次第に活躍の幅を広げていった。
《日本風の影絵》は、自筆譜が草稿しか現存しないため、詳細な作曲年代は不明であるが、 この米国滞在中の 1918~1919 年に作曲された。出版社の求めに応じて作曲されたと考えら れ、初版は、Composers’ Music Corporation から出版された。 全 4 曲からなる組曲となっており、「日本風」 という題が表すように、5 音音階が用いられ、リズムや装飾音によって楽曲の随所に日本的趣味が感じられる。 第 1 曲〈おはよう〉は、右手の旋律を左手が 1 小節遅れて追いかける書法で作曲されている。第 2 曲〈こんにちは〉では躍動感ある前打 音や、左手の 5 度の重音が特徴的である。第 3 曲〈こんばんは〉では波を模倣したような伴奏 音型が楽曲全体を通じて登場する。第 4 曲〈おやすみ〉では右手と左手がそれぞれ異なる旋律線を奏でる。