山田 耕筰 :スクリャービンに捧ぐる曲
Yamada, Kōsaku:Les poèmes à Scriabin
執筆者 : ピティナ・ピアノ曲事典編集部 (405文字)
第1曲「夜の詩曲」
ドイツ留学からの帰り道、1913年12月にモスクワで聴いたスクリャービンのピアノ曲「詩曲」へ想いを馳せて書かれた。作曲者自身による初演時(1917年)のプログラム・ノートには、次のように記されている。「夜の静けさと、その深くに燃ゆる情熱と、その呻きと、また消えてゆく悲しみと、その奥にただよふ祈りの心」。(春秋社:山田耕筰作品全集第4巻参照)
第2曲「忘れ難きモスコーの夜」
第1曲同様、スクリャービンのピアノ作品に感銘を受けたモスクワでの出来事にちなんで作曲された。作曲者自身による初演時(1917年)のプログラム・ノートには、次のように記されている。「その晩はことに雪の激しい晩でした。私は、芸術座の練習所の一室で、その町に居る友人や、芸術愛好家の一団と愉快に語り合って居りました。その晩でした。私がはじめて敬愛するスクリャービンの作品を聞いたのは~」。(春秋社:山田耕筰作品全集第4巻参照)
解説 : 太田 郁 (679文字)
山田は 1910~13 年のベルリン留学からの帰途、モスクワに 1 週間ほど滞在したが、そこでスクリャービン(1872~1915)のピアノ作品を聴いて深い感銘を受けた。古典的なドイツ音楽を学び、後期ロマン派の音楽が残るベルリンでの日々を過ごした山田にとって、スクリャービンの音楽は新鮮に感じたことだろう。モスクワではスクリャービンの《詩曲》を聴いたという。 山田はその後スクリャービンに傾倒していく。
〈夜の詩曲〉(1917 年 3 月 20 日作曲)と〈忘れ難きモスコーの夜〉(1917 年 4 月 28 日作曲)は、 1917 年 7 月 10 日、「山田耕作(原文ママ)氏第二回作品発表音楽会」において作曲者自身のピアノ演奏で初演された。もともと連作ではなかったのだが、1919 年にニューヨークの出版社 Composer’s Music Corporation より初版が刊行された際に《スクリャービンに捧ぐる曲》(“Les poèmes à Scriabin”)としてまとめられた。〈忘れ難きモスコーの夜〉という標題には、スク リャービンの作品との出会いとその感動が表れている。 山田の「詩曲(ポエム)」という言葉の用い方は、 1915 年頃から「短詩曲(プチ・ポエム)」に変化する。山田の「プチ・ポエム」という作品群は日本語で「日記の一頁」と呼ばれており、これらは音による日記で、1916 年半ばまでは日付のみが記載されている。次第に詩的標題を伴うようになるが、〈夜の詩曲〉〈忘れ難きモスコー の夜〉もそのジャンルの流れを汲むものと考えられている。
夜の詩曲
総演奏時間:3分30秒
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忘れ難きモスコーの夜
総演奏時間:2分00秒
スクリャービンに捧ぐる曲 1. 夜の詩曲
スクリャービンに捧ぐる曲 2. 忘れ難きモスコーの夜
スクリャービンに捧ぐる曲 1.夜の詩曲
スクリャービンに捧ぐる曲 2.忘れ難きモスコーの一夜
山田耕筰:スクリャービンに捧ぐる曲1.夜の詩曲
山田耕筰:スクリャービンに捧ぐる曲2.