構成にはとらわれず、自由な変奏や幻想的な創作を得意としたシューマンだが、生涯で3つのソナタ、第1番Op.11(嬰ヘ短調)、第3番Op.14(ヘ短調)、そして最後の第2番Op.22(ト短調)を完成させた。これらすべてが1830年代に取り組まれ、1836-39年の間に相次いで出版された。そのなかで出版までにもっとも長い年月を費やしたのが、当初Op.12が想定されていたこの第2番で、複雑な創作過程を持つ。(第3番は1836年の初版当時《管弦楽のない協奏曲》と題されており、厳密な意味で「ピアノ・ソナタ」となったのは大幅改訂が行われた1853年である。)
第1~3楽章の草稿は1833年で、冒頭楽章は極めて技巧的に、またスケルツォは優雅な性格で書かれていた。そして第2楽章には、5年前に取り組んだ未完の歌曲集《11の歌曲集》の第8曲〈秋に Im Herbste〉をピアノ用に改作したものが当てられた。
それから2年後の 1835年10月、4つの楽章から成るソナタの初稿が完成したが、その後も冒頭楽章に手を加え続けたシューマンは、1838年12月のウィーン滞在中、婚約中のクララ・ヴィーク(1819-1896)の提案により、すでに完成していた終楽章「プレスト・パッショナート」を破棄して「ロンド」に置き換えた。(彼女の主張は、演奏家にとっても聴衆にとっても負担の大きい終楽章をもう少しシンプルものに変えた方が良い、というものだった。)また冒頭楽章についても、この数年間にわたる修正をほとんど破棄し、最終的には1833年の時点で完成していた稿を採用することにした。このような長きにわたり、しかも様々な入れ替えや修正を得て出来上がったこのソナタだが、4つの楽章は驚くほど密接なつながりを保持している。
こうしてソナタ第2番は1839年の9月にようやく、ライプツィヒのブライトコプフ ウント ヘルテル社から出版された。作品は、同地の商人で芸術家のパトロンとしても知られたカール・フォークトの妻、ヘンリエッテ(1808-1839)に献呈された(ピアノのヴィルトゥオーソとして知られた彼女だが、この献呈から数週間後、結核でこの世を去った)。
シューマンの死から10年後の1866年には、ヨハネス・ブラームス(1833-1897)の尽力により元の終楽章「プレスト・パッショナート」が出版された。しかしブラームスが持っていた手稿譜はシューマンの作曲の初期段階のもので、「完成した」終楽章、6/16拍子、478小節が出版されたのは、1981年になってからのことだった。
【第1楽章】ト短調、2/4拍子、ソナタ形式。
ト短調の主和音を強く打ち鳴らすと、激しく、切迫した性格の第1主題が始まる。推移部からすでに平行調(変ロ長調)となり、そのまま内省的な第2主題が続く。展開部は主に第1主題の動機に基づく。
この楽章の速度指定は冒頭に、「出来る限り急速に So rasch wie möglich」とあるが、16分音符のユニゾンが続くコーダの開始部では「もっと急速に Schneller」と、そして第1主題が部分的に再帰する個所からは「さらに急速に Noch schneller」、記されている。論理的には奇妙な速度指示だが、常に何かに駆り立てられるような曲調に合致している。
【第2楽章】アンダンティーノ、ハ長調、6/8拍子、変奏形式+コーダ(あるいはABA’の3部形式)。
主題提示に続いて、内声に装飾を加えた第1変奏(A)となる。第2変奏(B)は主旋律を内声部が担当し、幻想的世界が展開される。第3変奏(A’)はむしろ冒頭主題の再現に近い。
【第3楽章】スケルツォ、非常に急速そして明瞭に、ト短調、3/4拍子、A-B-A C B-Aの3部形式。
特徴的なリズムの和音で始まり、第1楽章の激しさを取り戻す。トリオでもシンコペーション・リズムの連続が独特の拍子感覚を生み出す(それは冒頭楽章第2主題のリズムを彷彿とさせる)。全体で64小節と非常に短いが、印象深い旋律と特徴的リズムで形作られた密度の濃い楽章である。
【第4楽章】ロンド、プレスト、ト短調、2/4拍子、A-B-A-C-A-B-A-C-A-コーダのロンド形式。
Aは冒頭楽章同様、16分音符の激しい切迫感を呈する。Bは一転して緩やかなテンポとなり、ソプラノとテノール声部の掛け合いが一瞬の安らぎを与える。Cは強いアクセントを持つ躍動的な下行旋律を特徴とする。「シンプルな」ものに書き換えられたにもかかわらず、依然としてこの楽章はヴィルトゥオーソ・ソナタの最後を飾るのにふさわしい技巧と表現力を要求する。