20世紀前半のスペインを代表する作曲家ホアキン・トゥリーナが、1930年に発表した〈ジプシー舞曲集〉第1番Op.55に続き発表した〈ジプシー舞曲集〉の第2集で、1934年に作曲、出版された。第1集と同様に、第2集も全5曲から成る。
この曲が作曲された同時期には、〈ヴァイオリンソナタ〉第2番「スペイン風に」や、7曲におよぶ連作歌集〈セビーリャの歌〉が作曲されており、以前にも増して、スペイン的なものを題材とした作品を意欲的に書いていった時期といえる。
曲集のタイトルになっている「ジプシー」とは、15世紀にインド北部からヨーロッパへと移動してきた民族のことで、音楽や芸能などでよく知られている。「ジプシー」という呼称は差別的な意味合いを含むため、近年では「ロマ」や「ロム」と呼ばれている。
スペインのロマ(ジプシー)音楽としては、フラメンコが代表的であるが、東欧など他のヨーロッパの地域のロマ(ジプシー)たちが、自分たちの音楽をそれぞれの地で環境に適応させながら発展させていったのと同じように、スペインのロマ(ジプシー)たちも、元々の彼らの音楽と、イベリア半島がイスラム教国だった時代のアラブ音楽とを融合させながら、フラメンコ音楽を形成していったのである。
第2集では、第1集と同じように、ロマ(ジプシー)の音楽であるフラメンコを題材として取り入れつつ、さらにロマ(ジプシー)の生活や風俗、慣習に至るまで、音楽以外のことにも焦点を当て、第1集に比べてよりロマ(ジプシー)色の濃い民族的な作品となっている。
それでは、各曲を詳しくみていくことにしよう。
◯第1曲「カルデラの祭日」…Andante、4分の3拍子。
曲のタイトルの「カルデラ」とは、スペイン語で鍋や釜のこと。
ロマ(ジプシー)は、古くから金属加工の技術に長けており、伝統的に鍛冶職人として働いてきた歴史がある。
15世紀の初めのスペインを舞台にしたG.ヴェルディの作曲の有名なオペラ「イル・トロヴァトーレ」の2幕には、ロマ(ジプシー)の男たちが、鍛冶仕事でハンマー台を叩きながら歌う〈鍛冶の合唱〉という曲が登場するが、実際にロマ(ジプシー)たちは、「ユンケ」と呼ばれるハンマー台を叩くリズムに乗せて、日々の暮らしの辛さや、人生への嘆きなどを歌にしていた。
このギターなどの伴奏の無い鍛冶作業の労働歌は、やがて「マルティネーテ」というフラメンコのひとつのジャンルとなり、ロマ(ジプシー)への厳しい差別の中で、過酷な鍛冶労働に従事せざるを得なかった嘆きや悲しみを、独特な節回しと自由なリズムで歌い継いでいった。
ロマ(ジプシー)の暮らしの中には、嬉しい時も、悲しい時も、どんな時でも音楽が生活の中に溢れており、音楽がロマ(ジプシー)にとって大変身近な存在であったことが、この曲から伺いしれる。
曲の冒頭は、ピアニッシモで左手の重い低音からはじまる。3小節目からは右手も加わり、ミステリアスで仄暗いロマ(ジプシー)の鍛冶屋の作業場の光景が描写されている。
続く9小節目からは、スフォルツァンドでロマ(ジプシー)の歌を模したような憂いを帯びたフレーズが現れる。右手のフレーズには、64分音符がたくさん使われ、ピアノのテクニックの面からも難易度の高いものとなっている。
Allegrettoに入ると、4分の2拍子へと変わる。符点の入った鋭いリズムが左手に登場し、鍛冶屋で働くロマ(ジプシー)たちが、ハンマー台を叩きつけてユンケのリズムを鳴らしながら歌う様子が力強く表現されている。
右手のフレーズは装飾の多いものとなっているが、「マルティネーテ」のカンテ(歌)にはメリスマ的な装飾が多く、「レドブラオス」と呼ばれている。
再びAndanteになると、83小節目からは4分の3拍子と戻り、冒頭の歌のフレーズが繰り返されてゆく。cediendoと挟んでAllegrettoになると、ピアニッシモで小さく鍛冶のユンケのリズムが再現され、幕を閉じる。
◯第2曲「リズミックな輪」…Allegro、8分の6拍子。
トゥリーナが作曲した〈ジプシー舞曲集〉第1集、第2集の全10曲の中でも、最もフラメンコらしさにあふれた一曲。
そのフラメンコらしさをだしている一つとして、曲の原題に「Circulos Ritmicos」(リズムの輪)とあるように、「リズム」が挙げられる。
ロマ(ジプシー)のフラメンコ音楽を形づくるリズムの体系のことを「コンパス」という。コンパスとは、12拍を1単位(1コンパス)として考えるリズム体系で、アクセントをつける場所によって、ソレアやアレグリアス、ブレリアなど、様々なリズム形式にジャンル分けされる。
ロマ(ジプシー)たちは、コンパスの12の拍を、人間が暮らしていく中での基盤である「時計」のようなものと捉えていた。時計の針が円を描いて進んでいき、一周、二周と繰り返し廻ってゆくように、12拍のコンパスのリズムは「リズムの輪」を描きながら、永久にリズムを刻んでいくのである。
この「コンパス」という概念は、フラメンコのリズム体系というだけでなく、ロマ(ジプシー)の人たちの「人生というものは、絶え間なく続く時(コンパス)の中で、喜びも悲しみも繰り返してゆくものだ」という人生観をも反映している。
この曲の冒頭部分は、3拍目、6拍目、8拍目、10拍目、12拍目にアクセントがついており、ソレア系やアレグリアス系のリズムで書かれている。
3〜4小節目の左手の「A-G-F-E」というフレーズは、フラメンコ音楽でよく使われる音型である。これは、フラメンコの音階である「ミの旋法」(第1〜第2音と、第5〜第6音が半音となるフリギア旋法に似た音階)であり、時に官能的で、時に憂いを秘めたエキゾチックな響きは、フラメンコらしさを引き立てるのに一役買っている。
19小節目からと、71小節目からは、ヘミオラのリズムとなり、「カンテ・ホンド」といわれる歌のパートが登場する。「カンテ・ホンド」とは、「奥深い歌」という意味で、悲恋の苦しみや人生の絶望など、嘆きの感情を歌に込めたものである。
この「カンテ・ホンド」の部分には、和声など伴奏パートは書かれず、右手と左手によるオクターブユニゾンの旋律のみが書かれている。あえて無伴奏にし、歌のメロディのみを奏でることによって、より素朴なフラメンコらしさを際立たせている。
コーダへ入ると、フォルテからクレッシェンドしてゆき、フォルテッシモで高らかに和音が鳴り響き、華麗に幕を閉じる。曲の始まりから終わりまで、疾走感にあふれ、エネルギッシュな一曲である。
◯第3曲「祈り」…Andante、4分の4拍子。
曲の原題は「Invocacion」で、「祈り」とも「呪文」とも訳される。ロマ(ジプシー)の女性の中では、タロットカードなどの占いを生業としている者も数多く、その神秘的な世界を表したかのような曲となっている。
第2番「リズミカルな輪」のフラメンコらしい音楽とは違い、フランス印象派を思わせる幻想的な和声が曲全体を包み込んでいる。
トゥリーナは、約10年に渡って、パリのスコラ・カントゥルムでヴァン・サン・ダンディに作曲法を学ぶ傍ら、ドビュッシーやラヴェル、ポール・デュカス、フロラン・シュミットらとも親交を深め、彼らの作曲技法を吸収していった。トゥリーナの交遊関係の広さは、彼の作曲スタイルの幅広さに繋がり、印象派と後期ロマン派の流れを汲みつつ、全ての音楽ジャンルに精通し、独自の手法でスペイン国民音楽を生み出していった。
この曲は、トゥリーナが得意とする印象派らしい複雑な和声で書かれている上、4拍子と3拍子が絶えず入れ替わり、難解で高度な音楽技法で書かれているが、繊細なタッチで美しくロマ(ジプシー)の「祈り」を表現している。
◯第4曲「リズミカルな踊り」…Allegro animato、4分の2拍子(8分の6拍子)。
楽譜の先頭には、4分の2拍子と8分の6拍子と2種類の拍子が表記されており、曲の冒頭は8分の6拍子、続く9小節目から12節目までは4分の2拍子になるなど、2つのリズムが展開されている。
8分の6拍子の部分は、フラメンコの技の一つである「タコネオ」を彷彿とさせる。タコネオとは、靴のヒールを華麗に打ち鳴らすステップのことで、フラメンコのリズムを担う重要な要素のひとつである。
9小節目からの4分の2拍子の部分では、くるくるとコブシが回されるような歌のフレーズが展開されており、速いテンポの中でもフラメンコらしい情緒が漂ってくる。27小節目からは、「Cantando」(歌うように)との指示がなされ、軽快で力強い歌(カンテ)のパートが繰り広げられる。39小節目のスフォルツァンドから音域も広がり、踊りも歌もヒートアップしてゆく。73小節目では、Cantandoのメロディがピアノで小さく再現されたのち、さらに音域を広げながら大きくなり、フォルテッシモで堂々と幕を閉じる。
◯第5曲「セギリーリャ」…Allegro vivo、8分の3拍子。
曲のタイトルの「セギリーリャ」は、「シギリージャ」とも言い、フラメンコの重要な形式の一つである。
「シギリージャ」の原型は、葬式などで悲しみや嘆きを歌った「プラジェーラ」だと言われ、年を経るに従って次第に、シギリージャも人生の嘆きや暗い宿命を歌ったものとなった。
曲の冒頭は、シギリージャの憂いを帯びた歌(カンテ)のメロディから始まる。16分音符の左手の伴奏は、哀愁漂うフラメンコギターの調べとなっている。
14小節目からのフレーズや、18〜19小節目からは、第2曲「リズミカルな輪」と同じフラメンコの「ミの旋法」が使われている。また40小節目からは、第1集の第2曲「誘惑の踊り」を思い起こさせるフレーズが登場し、第1集と第2集の全10曲に渡る〈ジプシー舞曲集〉のラストを飾るのにふさわしい一曲といえよう。
この曲集の初演は、第1集、第2集ともにホセ・クビレスによって演奏させれている。
クビレスは、トゥリーナが作曲科の教授として教えていたマドリード国立音楽院でピアノを教えており、トゥリーナのピアノ主要作品のほぼ全ての初演を務めている。
トゥリーナとクビレスの親交は深く、トゥリーナが自身と友人たちの個性を音楽で表現した作品〈Rincon Magico〉Op.97の中にも、「Pepe,el pianista gaditano」(カディス出身のピアニスト、ペペ)として登場するほどである。