総括
本作品が作曲された1921~1922年は、ヒンデミットの創作史で言うと第一期の終盤にあたり、後期ロマン主義の影響を受け継ぎつつも、彼独自の折衷主義的な創作様式が顕著に見られる。この時期を芸術史の文脈に位置付けると、1900年代後半に勃興した表現主義の終わりと、第一次大戦後に拡大した新即物主義の始まりとが重なり合う時期と言える。本作品はまさに、これら二つの一見すると相容れない芸術思潮が並存していた1920年代前半のアンビヴァレントな気風を体現している。5つの楽章から成る本作品が表現するのは、しばしば「狂騒の20年代」と称される当時の社会的性格であり、ヒンデミットは当時流行のジャズやダンス音楽を、挑発的なパロディ化によって鍵盤音楽の中に落とし込んでいる(第2, 4, 5楽章)。それは当時の物質主義的な消費社会を象徴する「製品 product」としての大衆音楽を引用したものであり、時代の中で廃れ行く消費財の音楽化だと言える。本作品が与える気散じ的な印象と機械的で冷めたイメージは、大量消費社会の構築に伴う急速な現代化を称揚するような人々の熱狂と、第一次大戦がもたらした精神的かつ物質的な喪失に対する幻滅とが入り混じった、この時代の音楽的証言として捉えられるかもしれない。
ヒンデミットが敢えて「1922」という西暦を曲名に入れたことは、本作品が1922年に作曲された現代の「組曲」(バロック音楽を象徴する多楽章形式)であることを表明する意図に由来すると考えられる。また、本作品の初版楽譜の表紙には、「1922」という大きなロゴと共に、当代社会を象徴するものとしての自動車や電車、大衆生活を描いたヒンデミット自身によるイラストが掲載されている。これは、本作品が当代社会の音楽的な反映であるという作曲者なりの暗示としても解釈できるであろう。
⒈ マーチ Marsch
〈序奏 Vorspiel〉:第1~3小節 2/4
本楽章のグロテスクさを予示するかのような、不協和なファンファーレ風の開始。
〈マーチ〉:第4~73小節
三部形式(ABA形式)。
A:第4~27小節 2/4
マーチらしく、比較的シンプルなリズムの反復を特徴としているものの、随所にジャズ風の即興的な音型とリズムが見られる。例えば、ジャズ・バンドの管楽器の奏法を模倣するような、急速な半音階的パッセージ(走句)によるポルタメント的な効果や(第6, 14小節等)、装飾音の使用(第4, 5, 13小節等)が際立っている。また、敢えて弱拍にf、強拍にpを配置し、弱拍から強拍にかけてスラーを設けることで、シンコペーションの効果をもたらしている(第16, 18小節)。
B:第28~49小節 2/4, 3/4
拍子が一時的に3/4へ変化して(第32~33, 38小節)、さらに弱拍を強調した不規則な強勢の配置によって楽章全体の「マーチらしさ」(2/4感)は曖昧化される。
A:第50~73小節 2/4
第4~27小節と同一。
⒉ シミー Schimmy
「シミー」とは、1910年代から1920年代にかけて流行したダンスで、肩を素早く前後に振り動かすことを特徴とする。
以下の二部分から成る。
第1部(ABA’形式):第1~45小節
A:第1~16小節 2/4, 2/4
弱起で序奏が始まり(第1~2小節)、前楽章と同様に、全体としてシンコペーションが多用されると共に、装飾音が随所に現れる(第4, 10, 12小節等)。また、2拍子の左手の伴奏に対して、右手のフレーズが3拍子のリズムを刻むことで、ポリリズムを形成している(第5~6小節等)。
B:第17~30小節 2/2, 2/4
序奏が経過的に再現され(第17~18小節)、右手のシンコペーションと左手のオクターブ+6の和音による伴奏形を特徴とするB部分へと移行する。この左手の伴奏形もまた、タイによってシンコペーションを形成する(第21~22, 24~25小節)。
A’:第31~43小節 2/4, 2/2
白鍵(右手)と黒鍵(右手)による反行するグリッサンドが合図となり(第31小節)、Aが回帰する。第40小節まではA(第4~12小節)とほぼ同一だが、第41~43小節にかけて前小節からの音型を反復する。
第2部(C+コーダ):第44~78小節 2/4, 2/2, 3/2, 5/4, 4/4
序奏が経過的に再現され(第44~45小節)、即興曲風で幻想的なC部分へと移行する。前楽章にも見られたような滑音が多用される(第49~50, 54~55小節等)。第61小節までの比較的静寂で内省的な音楽的性格は、第62小節において音量(mf→f)と音域の両面で大きく展開する。コーダと見なすことができる第63小節以降は、三段譜に変わり、「幅広く Breit」の指示を伴って、より躍動的に音楽が進行する。また、和声的には7の和音と(第63~65小節等)、半音階的進行が際立っており、ジャズとの親和性を聴きとることができる。第69小節で本楽章で初めてfffに至り、第71小節では最高音域に達することで、音楽的展開はクライマックスを形成する。三連符による不協和音の容赦ない連打が、音量・音域の極端さと相俟って、刺激的な音響(効果的な不快感)を創出する。最後は投げやりな印象を与える不協和音の連打で音楽が切断されて終結する。
⒊ 夜曲 Nachstück 「非常に静かに、半分の音で。ほとんど表情を伴わずに。」
本楽章で言うところの「夜曲」は、J. フィールドやF. ショパンによって確立された「ノクターン」が指し示すものとは趣を異にする。単に抒情的で瞑想的な性格を有するというよりも、どこか非現実的な夢想世界を描くような音楽としての「夜曲」であると言えよう。本楽章の場合、作曲当時の大衆社会において単なる労働力と化した人々の空虚さや、そうした状況を生んだ物質主義的な消費社会に対する諦観と憤りを感じさせる、力のない響きが印象的である。
三部形式(ABA’形式)
楽譜上に拍子は指示されていないが、全体として3/2拍子で貫かれている。
A:第1~35小節
冒頭4小節のモティーフが、第11~14, 27~30小節でそれぞれ変形して繰り返される。前2楽章とは対比的に、テンポは遅く、音楽的な運動量も少ない。全体的にpが支配的で、低音域でバスが停滞する重苦しい音楽の中で、右手が主導する旋律は、上行しようとする意志を示しながら、音量をpppからffまで強める(第15~19小節)。しかし、頂点へ上り詰めたのも束の間、バスのG音上の短三和音の打撃がもたらす重力に引っ張られる形で、再びpまで弱められながら儚くも墜落(下行)する(第19~22小節)。
B:第36~65小節 「わずかに活気をもって Ein wenig belebter」
「非常に繊細でかすかに Sehr zart und leise」という演奏指示があり、Aよりも全体的に音域が2オクターブ程高くなることによって、夢想的な音空間を生み出す。第36~46小節までの息の長い大楽節が、第52~62小節で発展的に変奏される。
A’:第66~98小節 「静かに、始まりのテンポで」
Aの冒頭4小節のモティーフは音域を変えて再現され、第23小節からの4小節のモティーフはほぼ正確に再現される(第66~73小節)。その後、Aの冒頭4小節を起点とする大楽節が二度、発展的に変奏される。一度目は(第74~88小節)、第79小節から再び上行しようとする意志を示し、右手の跳躍を伴って音域的にも急激に拡大していく。しかし、第83小節でffに至ったのをピークに、第85小節からは「徐々に衰える allmälich zurückgehen」の指示と共に、三連符で半音階的に下行する不協和音の連続によって制圧される。二度目は(第89~98小節)、第95小節まで音域が次第に低くなり、音量もppまで弱められる。1小節分の休止を挟んで、最後の2小節は唐突に音域が約2オクターブ高くなり、これまで度々繰り返されてきたAの冒頭4小節のモティーフの前半部分が、pppで変奏されて終結する。
⒋ ボストン Boston 3/4
「ボストン」とは、1860年代後半にアメリカの社交ダンス界に現れたワルツの一種で、その後イギリスに伝わった。様々なステップを含むダンス形式で、第一次大戦後には「英国風ワルツ」としてドイツ国内で人気になった。
アンバランスなロンド形式。
A:第1~22小節 「テンポ・ルバート」
冒頭2小節の序奏で、Cis音上の空虚5度がpppで二度打ち鳴らされる(前打音も空虚5度)。掴みどころのない感傷的な旋律を特徴としながら、装飾音や付点リズム(第4, 8小節等)、シンコペーション(第19~20小節等)も効果的に使用されている。また、ボストンの特徴として挙げられるヘミオラが左手の伴奏に現れ(第15~18小節)、右手の3拍子と共にポリリズムを形成している。
B:第23~64小節 「アレグロ」
pが支配的で流動的なAから、fで音型の反復が顕著なBへと移行する。第4小節目の装飾音を含む4音モティーフを繰り返しながら音楽が展開する。同モティーフを起点とする右手の下行音型が変奏・反復される間、左手の伴奏はヘミオラを形成する(第23~38小節)。第39小節から「遅いワルツのテンポで Langsames Walzertempo」の指示があるが、上記の4音モティーフは一貫して反復される。Aと同様に装飾音や付点リズム、シンコペーションが用いられる。
B’:第65~93小節
Bが全音1つ分音高を下げて、短縮された形で繰り返される。
A’:第94~115小節 「始めのテンポで」
Aの第5~18小節が再現される(第108小節以降は同一音型の反復を含む)。
C:第116~163小節
冒頭2小節の序奏が4小節に引き伸ばされて、経過的に再利用される(第116~119, 127~130, 138~141小節)。第120小節で「レチタティーヴォ風に、極めてルバート」との指示があり、ffとpppが交互に繰り返されながら、シンコペーション(第121~122, 142~143小節等)やヘミオラ(第123~124小節)が用いられる。第152小節から、第120小節以降の11小節がオクターブ音型で(上声は2オクターブ分高くなって)再現される。
A”:第164~183小節 「始めのテンポで」
Aの第3~18小節が再現される(第164~179小節)。第178~179小節が三度繰り返される。
Codetta:第184~203小節
シンコペーションで拍節が曖昧にされ、fからpppに至るまで徐々に音楽的に停滞していく。第200小節以降、Aの冒頭2小節の序奏が再現され、空虚5度を際立たせて息絶えるように終結する。
⒌ ラグタイム Ragtime 2/4
「ラグタイム」とは、19世紀末からアメリカで流行し始め、1920年代にかけてヨーロッパで黒人音楽を象徴する音楽語法として受容された。シンコペーションを多用したリズムを特徴とし、一般にジャズの前身と見なされる。
経過部の役割を担う小休止 breakを含むロンド形式。
A:第1~12小節
強烈なffの不協和音が雪崩のように下行する序奏(第1~3小節)で始まり、シンコペーションによってリズム的に誇張されながら、粗野で急速な音楽がffとfzで進行する。
B:第13~16小節
強弱指定がmfに変わり、それまでの激しい音楽的運動はいったん治まるものの、弱拍へのアクセントは執拗に反復される。
A’:第17~27小節
序奏のモティーフが経過的に転用され(小休止:第17~18小節)、Aと同一の音楽的展開が第25小節から徐々に音域を上昇させる。
C:第28~39小節
ピークに至った高音域で不協和音が反復され(小休止:第28~29小節)、Aで用いられた素材が変奏される。不協和な響きがより強調されて、音域の移動は比較的停滞する。
A”:第40~50小節
第37小節以降の反復的な音楽的運動が継続しながら(小休止:第40~41小節)、再びAへと回帰する。
D:第51~79小節
強弱指定がmfに変わり、それまでの攻撃的で外向的な音楽的性格が、幾分内向的なものへと移行する。上声が順次進行を基本とする旋律を形成し、新しい音楽的展開を担いながらも、バスが執拗に各小節最後の16分音符を刻んで、本楽曲の弱拍への偏愛を示す。第76小節から序奏とAの各モティーフが断片的に用いられる。
A’”:第80~90小節
第76小節以降の断片的な流れを受け継いで、冒頭の序奏が音域を変えて発展的に再現される(小休止:第80~83小節)。第84~90小節まではA’の第19小節以降の音楽的展開と同一(A’最後の2小節分を省略した形)。
Coda:第91~116小節
本楽章で初めて強弱指定がfffまで上昇し、第95小節ではffffにまで到達する。第95小節2拍目から、本楽章で2番目の高音域から段階的に転がり落ちるように不協和音が下行する(第95小節「墜落するように hinabstürzen」)。第103小節で「徐々にいくらか幅広くなって Allmälich etwas breiter werden」との演奏指示があり、右手でAのモティーフを想起させて、左手は音域を段階的に引き上げながら音楽的に緊張感を高めていく。その緊張感が頂点に達する第108小節で、本楽章における最高音域に達し、「幅広く Breit」という演奏指示を伴って、不協和音をテヌート気味に強調しながら本楽章における最低音域まで一気に下行する。第111~112小節で3度打ち鳴らされる不協和音(F音上の長三和音+Es音上の短三和音)がただでさえ暴力的で凄惨な音楽的展開を無残にも切断し、第113小節以降はAのモティーフの部分的な変形が3度反復して終結する。