シューベルト : 36の独創的舞曲(最初のワルツ集) D 365 Op.9
Schubert, Franz : 36 Originaltanze(Erste Walzer) D 365 Op.9
作品概要
作曲年:1818年
出版年:1821年
楽器編成:ピアノ独奏曲
ジャンル:ワルツ
総演奏時間:24分47秒
著作権:パブリック・ドメイン
解説 (3)
総説 : 堀 朋平
(907 文字)
更新日:2018年3月12日
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総説 : 堀 朋平 (907 文字)
シューベルトのピアノ舞曲
19世紀初頭は、18世紀に流行した貴族的なメヌエットが、より民衆的でダイナミックなドイツ舞曲やレントラーに座をゆずった後、やがて華やかなワルツに移行しようとしていた時代である。2手用と4手用あわせて約650曲に上るシューベルトのピアノ舞曲も、これら3拍子系の曲種を中心に伝承されている。ヴィーン会議(1814~15年)後に隆盛を見たワルツのリズムをシューベルトも愛したが、残された楽譜を見るかぎり、作曲家が「ワルツ」の名称を使ったのは1回だけであった。この事実からも、各舞曲の性格はそれほどはっきり区別されていなかったと考えてよい。
シューベルトにとってのピアノ舞曲は、まずは内輪の友人たちの集いにBGMを提供し、なごやかな社交の雰囲気を作り出す曲種だった。やがて腕前が世間に知られていくにつれ、公の大きなダンスホールに招かれてピアノを弾く機会も増えていった。その場の雰囲気にあわせて即興で弾いた曲のなかから、特に気に入ったものを後で楽譜に清書していたらしい。そうして書きためられていった舞曲は、歌曲と並んで初期の出版活動の中心をなした。
シューベルトがピアノ舞曲を弾く様子は、友人たちの数ある証言のなかでも最もしばしば、そして生き生きと回想される場面の一つだった。それらの証言が12月~2月に集中しているのは面白い事実である。南方とはいえヴィーンの冬は厳しい。彼らは寒い夕べに皆で集い、心身の暖を取っていたのである。そんなある夜、人生に疲れた親友をシューベルトの即興演奏が癒す様子を描いた詩すら残されている。こうした場面はシューベルトの音楽の原風景をなすものであり、そこで生まれた舞曲は、時に精神のドラマをはらむ緊密なチクルス(まとまった曲集)にまで発展することがあった。この性質をよく認識していたのがロベルト・シューマンである。シューベルトの舞曲チクルスのいくつかは、やがて《ダーヴィド同盟舞曲集》(1837年)につながるほどの緊密な作品集になっているのである。
友情、社交、そして精神の旅路――この3つの領域をゆるやかに横断しつつ、シューベルトのピアノ舞曲は人の心と身体を暖めてくれる。
成立背景 : 堀 朋平
(1247 文字)
更新日:2018年3月12日
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成立背景 : 堀 朋平 (1247 文字)
「36のオリジナル舞曲(最初のワルツ集)」は、1821年11月にカッピ&ディアベッリ社から「作品9」として世に出る。シューベルト初となる舞曲集の出版であった。ちなみにこの年は4月に歌曲《魔王》が「作品1」として同じ出版社から発売された記念すべき年であるが、新人の若手シューベルトによる歌曲は、じつは作曲者側が費用を負担する形で(いわゆる「持ち出し」で)出版されていた。そんな中、「作品9」は、すべて出版社の負担で印刷された初めて作品集である。これ以降は、歌曲の出版に際しても出版社は経済的なリスクを厭わなくなる。当初シューベルトのワルツは歌曲よりも「売れた」のだ。
本作に収められた36作品の多くは1818~1821年に成立している。書かれた場所も様々であり、特に第29~31番の自筆譜には、十数人の友人と楽しく過ごした地名を冠した「アッツェンブルク・ドイチェ〔=ドイツ舞曲〕」の表題が記されている。つまりこの「作品9」は、そもそも3年以上にわたって別々に書きとめられてきたワルツを改めて編集したものである。その配列が誰によってどのようになされたのかを示す資料は存在しない。一般にシューベルトの場合、出版社の意向がかなり支配的だったのは確かであり、特に舞曲集のような「気軽な」ジャンルでは、作曲者のこだわりはそれほどなかっただろうとも考えられてきた。加えて本作は、シューベルトが生前に出版した8つの舞曲集の中でも最も広範かつ緩いものに数えられるから、作曲者による一貫した配列の意図(チクルス性)を読み取るのはナンセンスだと言う研究者もいる。しかし一方、出版社が舞曲集を恣意的に分冊して世に出した時、シューベルトが敢然と異議を唱えたことがあるのもれっきとした事実である(D 145 )。作曲者が「作品(オーパス)」として世に出した自作である以上、演奏者はそこに何らかの統一や物語を積極的に読み取り、ソナタを弾くような心構えで作品に向き合うこともできるだろう。
楽曲解説で詳しく触れるように、第2曲〈悲しみのワルツ〉が、その手がかりの一つとなるかもしれない。シューベルトの全ワルツのうち最も名高いこの曲は、1818年の自筆譜では「ドイツ舞曲」と書かれており、消失した1816年の自筆譜には「レントラー」と書かれていたらしい。総論(シューベルトのピアノ舞曲)で触れたように、シューベルトにとっては舞曲ジャンルの境界が緩やかなものだったことを示す端的な実例である。〈悲しみのワルツ〉というタイトルは作曲者が付けたものではないにせよ、その憂いに満ちた旋律はまずは友人たちの間で話題をさらった。人気はさらに広がり、チェルニーを含む2人の作曲家が、本作の出版に先だって、これを基にした変奏曲を世に出している。さらに1826年にはマインツで、ベートーヴェン作として「憧れのワルツ」の題名で出版されることにもなる。この作品9がシューベルトの「オリジナル舞曲」と銘打たれた理由には、おそらくこうした背景もあっただろう。
楽曲分析 : 堀 朋平
(922 文字)
更新日:2018年3月12日
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楽曲分析 : 堀 朋平 (922 文字)
試みに全体を3つの部分に分け、それぞれの部分に大まかな解釈を与えてみよう。
第1部:No. 1~15 レガート(眠り)
第2部:No. 16~31 レッジェロ(高揚)
第3部:No. 32~36 レガート(ふたたび眠り)
〈悲しみのワルツ〉が全曲の統一を考える手がかりになりうるのは、この曲が3つの視点につながるからであり、それは全体の解釈とも深くかかわる。
一つ目は調の観点である。変イ長調は前半(第1部)を支配する基本調であるとともに、シューベルトが「子守歌」(D 498、D 867)で好んだ、あるいは神への信頼を語る調でもあった。その後は一転して♯系が開拓され(第2部)、最後は緩やかにヘ長調へと落ち着く(第3部)。
二つ目は、これと密接につながるが、曲想やタッチの観点である。さながら夢のまどろみのようなレガートが支配する第1部は、第16番で不意に♯系に切り替わるとともに、すばやい動きとマルカートやスタッカートが目立つようになり、第25番以降に聴かれるヨーデルのごときオクターヴ跳躍へと高揚してゆく。この夢の興奮は第31番を頂点として徐々に醒め、しだいにまた元の状態に落ち着いてゆく。第35番の冒頭4音は〈悲しみのワルツ〉冒頭を想起させ、第35番を支配するヘ長調の保続低音によって曲集は、最終的な静穏に戻ってゆく。たとえば以上のように解釈すると、全体はシューマン《子供の情景》にすら通じる物語を備えたチクルスとして弾く/聴くことができる。
三つ目は、もう少し細かい音のニュアンスの問題である。第2番〈悲しみのワルツ〉が人気をさらった最大の理由が、同主短調への翳りと、そこににじむ、憂いのような情緒にあったのは確かであろう。この情緒を醸し出す、異名同音によって異質な音響を聴かせる手法(第11~12小節)は、シューベルト作品の全ジャンルを貫いている。この手法は、歌曲では別世界への憧れをよく表すし、ピアノ曲でも心の傷のふとした疼きのような繊細な状態につながると解釈する研究者・演奏者が多い。この種の翳りが全曲を通して(第14、34、36番など)聴かれることを考えれば、これを精神のゆらぎに触れるライトモティーフとして演奏に生かすこともできよう。
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