冒頭1小節目、Ges音のみがしめやかに響く。レガート・スタッカートによるこの高音は、全曲を通して間断なく鳴り続けることになる。《黎明の看経》では、いわば「通奏」とでも言うべきGes音のもと、訥々と音が紡ぎ出されてゆく。 山田耕筰は「友の家で聞いた看経の音がこの曲の生れる原因となりました」と述べている(山田 2001:587)。「友」というのは古典文学に造詣が深く短歌も詠んだ寺崎悦子のことで、《黎明の看経》の自筆譜には寺崎への献辞が記載されている。
『広辞苑』によれば、「看経(かんきん)」とは「経文を黙読すること」「経文を読むこと」「経典を研究のために読むこと」で、もともと、「誦経」「諷経」に対する用語であった。それゆえ「看経」は、声を出し朗々と節付けて経を読むことではない。
《黎明の看経》の楽譜を参照すると、強弱記号はほとんど“p”もしくは“pp”となっている。左手が奏でるフレーズは長い音価や休符を含んでおり、一音一音に密度の濃い「間」が求められる。全体に静謐な雰囲気が漂い、ときおり聞こえてくるアルペッジョや複前打音は箏の爪弾きのようでもある。看経から着想を得たというGes音の連打は、ややもすれば雨だれに通じる。F. ショパンの《プレリュード》Op. 28, No. 15で雫に重ねられたのはAs音であった。
山田による《黎明の看経》の自筆譜には、「1916年10月24日夜12時」と記されている。彼がピアノ作品の多くを作曲したのは大正時代前半(1914~1917年)で、音による日記のような《プチ・ポエム集》なども同時期の作品である。《黎明の看経》の初演は、1916年、山田耕筰自身の手による。