第1曲「行進曲」 ハ長調。素朴だがどこか滑稽味のある行進曲。ハ長調で始まるが、徐々に黒鍵が使われるようになり、その効果はあたかも徐々に色彩が加わっていくかのようである。最後は元の音型が、若干の装飾を伴いながら回帰する。行進曲にしてはやや重たげで、朴訥としながらもやや冷めた印象を与える。
第2曲「アラベスク」 イ短調。唐草模様(アラベスク)を描く抒情味を帯びたアルペジオが繰り返され、息の長い旋律がそれに重ねられる。第1曲と同様、イ短調は冒頭に提示されるだけで、さまざまな調性がほのめかされ、水墨画におけるような微妙な濃淡が生まれている。末尾、イ音(イ短調の主音)の強調からイ長調へ導き、微かな明るさのなかで終える工夫は秀逸である。
第3曲「舟歌」 ト長調。たゆたうような伴奏の上に穏やかな旋律が現れたあと、旋律線が蛇行しはじめて伴奏ともども賑やかになる。水面のきらめきと舟を漕ぐ愉しさを想起させる箇所である。その後元の旋律が戻るが、終わり間際に半音高い変イ長調に一瞬転じることで浮遊感が生じている。
第4曲「トッカータ」 ホ短調。さまざまな音型(同音連打、アルペジオ、グリッサンドなど)が休みなく次々と現れる、高度な技巧を要求する作品。低音域の鈍い響きや鋭い打鍵を特色とし、これまでの3曲にはなかったシリアスな性格を帯びている。右手と左手の呼応と対比に細かな配慮がみられる。
第5曲「幻想曲」 ニ長調。和音の連なり、アルペジオの断片などいくつかの要素が、休止をたびたび挟みながら現れる。「幻想曲」と題されてはいるが、ショパンやシューマンの同名の作品とは遠く離れたところに位置し、むしろメシアンの初期の作品《前奏曲集》(1930)などと同様の雰囲気を見いだすことができる。
第6曲「牧歌」 ロ短調。羊飼いの孤独なモノローグを思わせる、比較的自由な動きの旋律に簡素な伴奏音型が付く。古典的な形式的特徴をこうして端的に提示しつつも、和声および調性をかなり自由に扱うのは本曲集の各曲にみられる特色である。旋律の動きが発展した後、下行音型を経て冒頭の旋律と伴奏が回帰する。
第7曲「間奏曲」 イ長調。本曲集で唯一、ジャポニスムへのオマージュとみなすことのできる作品。「かっぽれかっぽれ」という囃し言葉を想起させる冒頭のモチーフと、筝を思わせる4音からなる右手の急速な音型が特徴的である。
第8曲「サラバンド」 嬰へ短調。和音の連結を主とする書法はサラバンドの形式的特徴を踏まえたものである。和音が下行を志向し、単旋律は主として上行することで、音域上のバランスがとられている。メシアンの和声書法を意識したと思われる箇所もある。中間部では単旋律の強調と和音の連結の発展が行われる。
第9曲「子守歌」 ホ長調。和音の連続によるモチーフが軸となる点は第8曲と共通する。また、ホ長調が明確に提示されているためか、第5・6曲にあった抽象的な感触は薄れ、第8曲で再帰した抒情性がより際立っている。とりわけ高音域での和音の動きには、子守歌にふさわしい優しく柔和な表情が宿っている。
第10曲「夜想曲」 嬰ハ短調。滑らかな音型の反復に乗せて歌われる旋律、中間部でのドラマティックな展開に夜想曲の特徴が表れている。長調の温かみのある響きを特徴とする第8曲と異なり、悲愴感を帯びた作品。グリッサンドで頂点を迎える激しい音の動きと規模の大きさという点で、第4曲と双璧をなす。
第11曲「セレナーデ」 ロ長調。未完。調性をもたず、暗みを帯びた伴奏音型に、動きの少ない旋律が付く。少し発展した末にロ音が残り、アルベニスのピアノのための組曲《スペイン 6つのアルバム・リーフ》(1890)第6曲〈ソルツィーコ〉の引用が始まる。その冒頭には「舞曲(アルベニス) ソルツィーコのテンポで」との書き込みがあるが、9小節目で唐突に終わる。冒頭に「アレグレット クアジ・ファンタジア(幻想曲風に)」と記されており、黛はこの曲に即興的な展開を与えたかったのかもしれない。
第12曲「悲歌」 嬰ト短調。謹厳な佇まいのなかに抒情性がにじみ出ている。終戦を迎えた1945年8月以降に書かれた第7曲以降の作品は、より色濃い陰影と、深淵を覗くかのような極度に内省的な性格を帯びているように思われる。冒頭に左手が提示する3音のモチーフと、右手の2音のモチーフを軸とする明瞭な構成をとる。主に用いられる低・中音域の鈍い響きと、ときおり挿入される高音域の音型が明暗の対比を表出している。
※「黛敏郎 ピアノ作品集」(MTWD-99063)より転載