作品概要
作曲年:1858年
出版年:1869年
楽器編成:ピアノ合奏曲
ジャンル:トランスクリプション
総演奏時間:53分00秒
著作権:パブリック・ドメイン
解説 (1)
執筆者 : 岡田 安樹浩
(800 文字)
更新日:2008年12月1日
[開く]
執筆者 : 岡田 安樹浩 (800 文字)
ヴァイオリニストのエドゥアルド・レメーニ(1830-1898)の伴奏者としてドイツ演奏旅行を行った際、ロマの民族音楽について知ることとなったブラームスは、これをハンガリーの民族音楽であると思い、採譜・編曲したものを出版しようと考えた。4手ピアノのために編まれたこの曲集のうち、まず6曲が1867年にジムロック社から出版の試みがなされたが、この時は失敗した。2年後の1869年に、2集からなる第1-10番が出版されて好評を得た。
後の1880年には更に2集からなる第11-21番も出版され、現在知られる21曲からなる「ハンガリー舞曲集」となった。1872年には、第1-10番がブラームス自身によって独奏用に編曲され、出版されている(「10のハンガリー舞曲」参照)。
オーケストラでもしばしば演奏されるが、ブラームスにってオーケストレイションされたのは第1、3、10番のみで、これは1874年2月5日にライプツィヒでのブラームス指揮による演奏会のためのものである。
その他の番号のオーケストレイションはさまざまな指揮者や作曲家が手がけているが、特に注目に値するのは第17-21番のドヴォルザーク(1841-1904)によるものだろう。
また、ヴァイオリニストでブラームスの友人でもあったヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)がヴァイオリンとピアノのデュオに編曲しており、同じくヴァイオリニストのフリッツ・クライスラー(1875-1962)は第17番をデュオ編曲しているものがよく知られている。
「ハンガリー舞曲集」を巡って、ブラームスがレメーニと訴訟沙汰になったことは有名である。近代的な著作権の概念が確立していなかった時代においても、作品の権利についての意識が既に作曲家たちの中にあったことが良くわかる。なおこの訴訟については、当曲集が「創作」ではなく「編曲」としされていたことが幸いし、ブラームスが勝訴した。
楽章等 (21)
ピティナ&提携チャンネル動画(18件) 続きをみる
楽譜続きをみる
楽譜一覧 (63)

(株)ドレミ楽譜出版社

カワイ出版

(株)全音楽譜出版社

(株)全音楽譜出版社

(株)全音楽譜出版社

(株)全音楽譜出版社

(株)ドレミ楽譜出版社

(株)ドレミ楽譜出版社

(株)音楽之友社

(株)ドレミ楽譜出版社

(株)レッスンの友社

KMP(ケイ・エム・ピー) ケイエムピー

(株)タイムリーミュージック

KMP(ケイ・エム・ピー) ケイエムピー

(株)ドレミ楽譜出版社

(株)リットーミュージック

(株)リットーミュージック

(株)ドレミ楽譜出版社

(株)オンキョウパブリッシュ〇

ハンナ(ショパン)

(株)ドレミ楽譜出版社

(株)シンコーミュージックエンタテイメント

(株)ドレミ楽譜出版社

(株)ドレミ楽譜出版社

(株)シンコーミュージックエンタテイメント

KMP(ケイ・エム・ピー) ケイエムピー

(株)ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス

(株)シンコーミュージックエンタテイメント

(株)ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス

ハンナ(ショパン)

(株)ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス

(株)シンコーミュージックエンタテイメント

(株)自由現代社

(株)ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス

日本楽譜出版社

日本楽譜出版社

日本楽譜出版社

(株)全音楽譜出版社

(株)全音楽譜出版社

(株)全音楽譜出版社

(株)全音楽譜出版社

(株)全音楽譜出版社

(株)全音楽譜出版社

(株)オンキョウパブリッシュ〇

日本楽譜出版社

ヘンレ社(ヤマハ)

(株)音楽之友社

(株)学研プラス

Musikverlag Doblinger

Musikverlag Doblinger

Peters

Peters

Peters

Peters

Peters

Peters

Peters