成立の時期と契機は不明。2つの筆写譜で伝えられている。そのうちの片方を作成した弟子のJ.T. クレープスは、この曲に「幻想曲Fantasie」と名づけ、さらに続いて《半音階的幻想曲とフーガ》(BWV903)を書き付けている。両者は形式の上ではまるで異なっているが、両手が時に交差しつつ織り成す分散和音のフィギュレーション、半音階を多用した装飾的な旋律によって、冒頭部分に似た雰囲気が生まれている。
全体は3つの部分から成り、すなわち分散和音の走句による冒頭部、クレープスが「フーガ」と書き込んだ第34小節からの中間部、おそらくバッハ自身が「プレスト」とした第92小節後半以降の終結部である。このうち、冒頭部はつむじ風のように鍵盤の端から端まで駆け抜けるアルペジオと、三和音にオクターヴが続く音型の2セクションに分かれる。中間部は短い音型が雨だれのように両の手に繰り返し現れるだけで、「フーガ」と呼ぶにはあまりに頼りない。しかし、こうした同じ音型の反復を冗長に終わらせないのは、転調の冒険が音楽を豊かにしているからだろう。冒頭部の終わりあたりには既に変ロ音が現れて色彩感あるナポリ六度を形成する。中間部では嬰ト短調、嬰ハ短調を通り、後半に再び変ロ音が現れ、今度はフラット系の調すなわちニ短調やト短調へと転じる。音型の反復は、和声の変化を聞かせるにはむしろ効果的な手法である。
この作品がかつて疑作とされたのは、あまりに即興的で動機労作に乏しい点、トッカータとしても形式が整わない、あるいはきわめて古風な構成であることによるのかも知れない。しかしそれだけに、後年の円熟したバッハの作品にない勢いと爽快感に溢れているともいえよう。