作品概要
解説 (3)
総説 : 仲辻 真帆
(1117 文字)
更新日:2018年3月12日
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総説 : 仲辻 真帆 (1117 文字)
1912(大正元)年12月24日、山田耕筰はベルリンで《主題と変奏》を起草し、1915年2月5日、日本でこの作品を完成させた。作曲に着手したとき、山田は留学先であるドイツに滞在中で、12月24日は下宿先の娘、ドロテア・シュミットとの婚約が決まった日でもあった。《主題と変奏》の楽譜は、完稿の5ヶ月後に雑誌『音楽』第6巻第7号(東京音楽学校、1915年7月)で発表されている。初演は1916年、パウル・ショルツによって東京・麹町の華族会館で行われた。
《主題と変奏》は、讃美歌による主題部と、第1から第10までの変奏曲で構成されている。作曲者によると、主題となっている讃美歌は山田の母が好んだ歌であり、かつまた、母の病床をなぐさめた歌であったと言う。
主題は慎み深く、しかし、たっぷりとした音量で提示される。2分音符、4分音符、ときどき8分音符といった音構成で、3拍子の歩みは16小節に及ぶ。第1変奏は、“sotto voce”で低音部から湧きあがってくる。音量は控えめで装飾も少なく、“Piangente”(涙を以て)讃美歌の旋律を浮き彫りにする。第2変奏では速度をはやめ、16分音符による分散和音の下行音型が軽やかに動く。冒頭から力いっぱい駆け上がる第3変奏は、3連符、5連符、16分音符により、躍動感が強調される。音型は多様で強弱の幅も大きく、演奏には明快さと丁寧な音運びが求められる。強弱変化やフレーズにより、ゆらりゆらりとたゆとう第4変奏。慈愛に満ちた母の心を感じさせ、子守歌のようにも聞こえる。一変して第5変奏は“ff”、“Allegro con fuoco”“marcato”などの指示が楽譜に記されており、バイタリティーにあふれている。第6変奏で初めて本作品に短調(c moll)が現れ、粛然と4分音符がきざまれてゆく。風にのっているかのように気ままに主題を伸縮させる第7変奏では、半音階やフェルマータが効果的に使用されている。隣の鍵盤へと指を滑走させながら、上行・下行を繰り返すのが第8変奏。そして第9変奏で、6連符が広い音域を華やかに飛躍する。最後の第10変奏では、漸次音量が弱められてゆく。各音にアクセント記号が付され、一音ずつ確めるように厚い響きで主題が奏される。
山田は自伝の中で「Variationenを変奏曲と訳すのもいや」であったと述べており、「主題が、色合いの違った衣を更える、というふうに考えて、《母に捧げる更衣曲》とした」と説明している(山田 1962:399)。この作品は、単なる変奏曲ではなく母への思慕を様々なかたちで表したものである。感傷に溺れることなく、優雅さと悲哀を秘めた一曲に仕上がっている。
解説 : 今関 汐里
(553 文字)
更新日:2018年4月13日
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解説 : 今関 汐里 (553 文字)
1912 年 12 月 24 日、山田耕筰は、留学先であるベルリンで下宿先の娘ドロテア・シュミットと婚約する(後に破局)。婚約の日は、山田が 《変奏曲》の第 8 変奏までで作曲を中断した日でもあった。山田が再び本作に取り組んだのは、3 年後の1915 年、日本に戻ってきてからのことであった。旧稿の第 6 変奏以降を削除し 第 10 変奏までを新たに作曲、2 月 5 日に完成させた。作品は、5 か月後の 1915 年 7 月、東京音楽学校が刊行する雑誌『音楽』第 6 巻第 7 号で発表された。初演は、翌年 1 月30 日の「ヤマダ・アーベント」と題された演奏会において、 東京音楽学校教授のパウル・ショルツによって行われた。
本作は主題と 10 の変奏からなる。山田によると、主題は彼の母が愛し、病床の母を慰めた 賛美歌から採られたという。耕筰の母ひさ(きさより改名)は 1904 年 1 月 24 日に他界する。 ひさは、耕筰の音楽に対する情熱をくみ取り、遺言で東京音楽学校への進学を認めてくれた人物であった。幼いころから深い愛情をもって育 ててくれた母を思い、この《変奏曲》は作曲された。形式上における変奏曲というよりもむしろ、作曲者本人にとっては、母の多様な性格を表現しようと試みた作品である。
解説 : 杉浦 菜々子
(1039 文字)
更新日:2024年5月22日
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解説 : 杉浦 菜々子 (1039 文字)
変奏曲 ハ長調 (1912年12月24日〜1915年2月5日)
演奏の機会も比較的多い作品である。主題は、母の好んだ讃美歌である。
自筆譜の表紙に以下の記述がある。
母上の好まれたうた。
兄弟そろって
母の病床をなぐさめたうた。
永い眠りに入り玉うた夕
御霊の前にむせんだうた
今其の追憶を辿って
母上のために・・・・。
また、山田はこの変奏曲について、「このヴァリアツィオーネンは、謂ゆる形式上に於けるヴァイアツィオーネンではありません。それがみなさまにどう響くかは分かりませんが、少なくとも私は此の短い讃美歌の一節をもって多様であった、私の母の性格を表はして見た積りなのです。勿論その配合は音楽的気分を基礎としている事はいふまでもありません。」と書き[3]各ヴァリエーションについて以下のように示している。
一番は静かな、敬虔な宗教的な母です。
二番は、軽快な健な母。
三番は非常に几帳面な、しかも判然とした母の一面です。
四番は子供に対する慈愛です。揺監に揺り動かされる幼児の顔を見守っている母の心を写したものです。
五番は精力的な活動的な、母の一部分です。此処までを私は千九百十二年の十二月二十四日に書いた切り、どうしても先きを続ける事が出来なかったのです。さうして去年の二月五日に六番からⅩ番までを書き上げる事が出来たのです。
六番はメランコリックな母の一日です。
七番はいかにも話上手であった母の性格を表はしたものです。
八番は剽軽な母が、子供などと戯れてさまです。
九番は華美な、晴れた心持ちの母の顔でせう。
十番は私が母に対しての讃美の外ありません。
Var.5までは自筆譜が現存しており、自然な強弱記号の自筆譜の表記を採用した。また、自筆譜のヴァリエーション1から5まではドイツ語で冒頭の発想記号が書かれている。以下の通りである。
Var.1 Ruhig 静かに、穏やかに
Var.2 leicht 軽やかに
Var.3 sehr rhythmisch とてもリズミカルに
Var.4 schwankend 揺らいで
Var.5 energisch エネルギッシュに、気力溢れる
また、自筆譜にはVar.6とVar.7、またVar.8の途中までが書かれているが、ばつ印で抹消されている。筆写譜と出版譜にあるVar.6より先の曲は、自筆譜になかったものである。
【楽譜情報】
●自筆譜 Ms.1054(Var.5まで)
●筆写譜 Ms.425(全曲)
●第一法規
●ハッスルコピー版
●春秋社新全集