菅原 明朗 :ピアノ組曲 「白鳳の歌」
Sœgaharat, Méireaux:*in preparation*
総説 : 仲辻 真帆 (313文字)
※出版事項について 《白鳳の歌》の自筆譜は、戦災により焼失している。菅原が手がけた初めてのピアノ作品《三つの音詩》、《ミヌエット》は、親交のあった大田黒元雄の邸宅で初演されたが、楽譜はやはり焼失しており、現在に伝わらない。 《白鳳の歌》のうち、〈I﨟纈(ろうけち)〉は雑誌『音楽世界』第3巻第3号(音楽世界社、1931年)に、〈II和琴(わごん)〉は『音楽世界』第4巻第4号(音楽世界社、1932年)に、それぞれ掲載された。〈III水煙(すいえん)〉は『月刊楽譜』第23巻第1号(松本楽器、1934年)に掲載されているとともに、『日本ピアノ名曲集』(世界大音楽全集・器楽篇33、音楽之友社、1957年)にも収録されている。
総説 : 仲辻 真帆 (825文字)
1919(大正8)年、菅原明朗は高畑に移り住み、活動拠点を奈良においた。日本の古典美術に対する探求が、「法起寺の塔と薬師寺の東塔との比較」(『仏教美術』第1巻第1号)といった著述や、ピアノ曲《白鳳の歌》、管絃楽曲《祭典物語》などの作品を生み出すこととなった。 《白鳳の歌》は〈I﨟纈(ろうけち)〉〈II和琴(わごん)〉〈III水煙(すいえん)〉から成る。I、IIは1931(昭和6)年に、IIIは1933年に作曲された。﨟纈は、奈良時代から平安時代にかけて試みられた染色法である。また、和琴は我が国固有の民族楽器で、日本最古の楽器ともされる。はじめは5絃で板状のものだったが、東アジアの楽器に影響を受けその姿を変容させていった。いずれも正倉院に伝世された遺物である。水煙は仏塔の上部にある装飾金具で、透かし彫りされた飛天が衣を翻し笛を奏でる。《白鳳の歌》の中で最もよく知られているのは〈水煙〉であろう。 菅原は雅楽や日本の音階に関心を寄せ、本作品でも特有の旋律を用いたが、同時代の箕作秋吉らのように日本和声を理論づけようとはしなかった。彼の作品における5音音階は、日本の音楽語法というよりむしろ近代フランス音楽の系列に属する。フォルム(形状)やマティエール(質感)を俎上にのせた彼の作品は、どこか典雅で香気を漂わせる。 なお、《白鳳の歌》が作られた1930年代は、菅原の生涯の中でも充実した活動期であった。作品数が多いだけでなく、新興作曲家連盟の旗揚げや『和声学要義』(R. コルサコフ著、春陽堂、1931年)、『管弦楽法』(学芸社、1933年)をはじめとする主要な著訳書の刊行がなされた。管弦楽法に通じ『楽器図説』『楽器図鑑』などを著した一方で、『ピアノのための和声』(音楽之友社、1964年)を上梓している点も見逃せない。本書はピアノを「和声の表現に特色をもった楽器」と捉えた菅原が、ピアノ奏者に和声法の体得を促すため書かれたものである。
﨟纈
動画1
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編曲0
和琴
水煙
作曲年:1933 総演奏時間:6分30秒
解説1
ピアノ組曲 「白鳳の歌」 1. 﨟纈
ピアノ組曲 「白鳳の歌」 2. 和琴
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