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菅原 明朗 1897-1988 Sœgaharat, Méireaux

  • 解説:仲辻 真帆 (1327文字)

  • 更新日:2018年4月19日
  • 美術と音楽に造詣が深く、日本におけるフランス音楽の旗手としても重要な作曲家が菅原明朗である。 1897(明治 30)年 3 月 20 日、兵庫の明石で生まれた。プロテスタント教会が経営する私立幼稚園に入園し、幼少期より讃美歌などの西洋音楽に親しむとともに、ジンタや蓄音機を通して音楽を愛好するようになった。1908 年、11 歳のときに明石メソジスト教会で洗礼を受ける。中学 2 年生まで兵庫で過ごし、1912 年、 京都府立第二中学校に転入。同校で吹奏楽を指導していた陸軍軍楽隊の小畠賢八郎から楽器の演奏法やソルフェージュ、和声学などを学ぶ。 音楽評論家の野村光一は中学時代からの友人 で、野村の誘いによって大沼の私塾や太田黒元雄のサロンに参加するようになった。1914 年から川端画学校で藤島武二に師事し、洋画を学ぶ。1918 年、シンフォニア・マンドリニ・オ ルケストラ(OST、後にオルケストラ・シンフォニカ・ タケヰと改名)に入り、以後マンドリン曲の演奏、 指揮、編曲、作曲を手がける。 1919 年には奈良の高畑に移住。奈良では作曲や音楽書の翻訳を行うとともに、仏教美術関連の仕事に従事するようになり、作家の志賀直哉、画家の曽宮一念、東大寺別当の清水公照、 写真家の小川晴暢といった多彩な人々と交誼を 結んだ。1922 年から 3 年間、同志社大学マン ドリンクラブの講師を務める。1926 年、東京に転居。1930 年には、帝国音楽学校の教授となったほか、「新興作曲家連盟」の発起人として名を連ねた。1935 年、「楽団創生」の結成に携わる。また、同年より 7 年間、ビクターの顧問を務めた。1938 年、東宝の映画『藤十郎の恋』 (山本嘉次郎監督、長谷川一夫主演)の音楽を担当。 太平洋戦争後は、作曲活動を継続的に行うと同時に、小学校・中学校・高等学校の教員に対する音楽講習会を開催する。1963 年、プロテ スタントからカトリックへ改宗。1967 年に初めて渡欧し、以後イタリアを度々訪れている。 1980 年には、ローマ法王ヨハネ・パウロ 2 世への献呈作品《日本の殉教者のためのレクイエム》を作曲し、90 歳を超えてなお、作曲や指揮を継続して行っていたが、1988 年 4 月 2 日、 91 歳で逝去した。 著書に『管弦楽法』(1933 年)、共著に『楽器図説』(同年)、訳書に『和声学要義』(R. コルサ コフ原著、1931 年)があり、これらはいずれも多 くの作曲家が活用してきた。また、ピアノの演奏者が和声法を修得できるよう企図して『ピアノのための和声』(1964 年)も刊行した。 菅原明朗の主要作品として、ピアノ曲《白鳳 之歌》(〈〉、〈和琴〉、〈水煙〉、1931~33 年)、オペラ《葛 飾情話》(1938 年)、《交響写景明石海峡》(1939 年)、《交響的作品イタリア》(1968 年)などが挙げられる。他に、宮城道雄と共作した《神仙 調協奏曲》などもある。 菅原の作品には、近代フランス印象派の潮流を見出すことができる。日本和声の理論づけに は否定的な姿勢をとったが、日本の伝統的な音階の使用も随所に散見される。

    執筆者: 仲辻 真帆
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    About composer : 仲辻 真帆 (4229文字)

    更新日:2018年4月19日
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    作品(11)

    ピアノ独奏曲 (3)

    曲集・小品集 (3)

    断章 断章

    作曲年:1933 

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    ★ 種々の作品 ★ (5)

    水煙 水煙

    作曲年:1933  総演奏時間:6分30秒 

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    ピアノ合奏曲 (2)

    ★ 種々の作品 ★ (1)

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