本歌曲集は、シューベルト自身が出版に関わっていないという点で、他の連作歌曲集《美しき水車小屋の娘》や《冬の旅》と性格を異にする。作曲者は本歌曲集の手稿譜を遺して夭逝してしまい、その死後に出版商トビアス・ハスリンガーが、ルートヴィヒ・レルシュタープ(1799~1860)とハインリヒ・ハイネ(1797~1856)の詩による歌曲群(1828年8月成立)に、ヨハン・ガブリエル・ザイドルの詩による《鳩の使い》(1828年10月成立)を付け足し、「白鳥の歌」という表題を与えて1829年4月に出版した。なお表題は、白鳥が死ぬ間際に最も美しく歌うという神話に基づく。
シューベルトの作品目録を作成したO. E. ドイチュは、ハイネ歌曲6曲が自筆譜においてレルシュタープ歌曲7曲の後に一続きで書かれている上、ハイネ歌曲群に作曲日が記されていないことから、これら13曲が一連の歌曲集として構想された可能性を指摘して一つの作品目録番号を付した(D 957)。これに対し、初版の第14曲《鳩の使い》は、出版社により付け加えられたとして別の番号が与えられている(D 965A)。
レルシュタープの原詩は、元々ベートーヴェンのもとへ送られたものである。レルシュタープは、ベートーヴェンが死ぬ間際に直接シューベルトに手渡したと後に回想しているが、ベートーヴェンの秘書シントラーは、シューベルトがベートーヴェンの遺品から得たと伝えており、詳細は明らかでない。また、シューベルトはもう一つのレルシュタープ歌曲《生きる勇気》D 937を未完のまま遺しているため、同一詩人による歌曲集をまとめる予定だったとも想定できる。
ハイネに関しても、一つの歌曲集を編む計画があった可能性が指摘されている。原詩は全て1827年に出版された『歌の本』の「帰郷」から取られ、シューベルトが1828年10月、ライプツィヒの出版商にハイネ歌曲群を売り込んでいるためである。
ザイドルの詩による《鳩の使い》は、現存するシューベルト歌曲の中で最後に作曲されたものであり、この意味で本当の「白鳥の歌」であった。