1932年に、同年のヴェネツィア音楽祭のために書かれた作品。プーランクのパトロンの一人だったエドモン・ド・ポリニャック公夫人Princesse de Polignac (1865-1943)が、ピアニストのジャック・フェヴリエJacque Février(1900-1970)と作曲家をヴェネツィアで演奏させるために、2台ピアノの協奏曲というアイデアを思いつき、プーランクに依頼して出来た作品である。作曲家自身もこの提案を喜んで受け入れ、作品は2ヶ月半で完成した。作曲中、プーランクは自身のピアノの上に、モーツァルト、リスト、ラヴェルのピアノ協奏曲と、イゴール・マルケヴィッチ(当時は作曲家として活動していた)の作品《パルティータ》を、常に置いていたという。ガムラン音楽の特徴的な音階を取り入れ、旋律線のいたるところに散りばめたアレグロ・マ・ノン・トロッポの第1楽章、モーツァルトのピアノ協奏曲を強く意識したラルゲットの第2楽章、技巧的で華やかなフィナーレ(アレグロ・モルト)の3楽章で構成されている。