解説:須藤 英子 (2098文字)
更新日:2026年9月16日
解説:須藤 英子 (2098文字)
坂本龍一は、多様なスタイルの音楽で世界を魅了した、日本を代表する作曲家の一人である。幼少期からクラシック音楽を学び、東京藝術大学にて修士号を取得する一方、在学中よりポピュラー音楽の制作に携わった。YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)での活動や映画音楽の創作を通じて広く知られ、「教授」の愛称で親しまれるとともに、晩年には社会的・政治的課題についても活動を行い、音楽と社会との関係を問い続けた。
1952年、東京都に生まれ、文芸編集者の父と帽子デザイナーの母のもとで育つ。幼少期からピアノに親しみ、10歳頃より作曲家・松本民之助に師事して作曲を学んだ。東京都立新宿高等学校時代にはドビュッシーに傾倒し、ジャズやロック、現代音楽に親しむ一方、60年代末の社会的・文化的な変動の中、学生運動にも参画した。1970年、東京藝術大学音楽学部作曲科に入学。現代音楽を学びながら、民族音楽や電子音楽にも強い関心を持ち、幅広い音楽の可能性を探究した。卒業後は同大学大学院音響研究科に進学し、1976年に修士課程を修了した。
70年代後半、坂本はスタジオ・ミュージシャンや編曲家として活動を開始する。その背景には、電子音楽を「人民のための音楽」と捉え、ポピュラー音楽を多くの聴衆とのコミュニケーションを介して創作できる音楽と考えるなど、現代音楽にとどまらず、より広い領域で音楽の可能性を追求する坂本の思想があった(坂本、2009:91、110)。1978年にはソロ・アルバム『千のナイフ』を発表し、電子楽器を駆使した先鋭的な音楽性を示すとともに、同年、細野晴臣、高橋幸宏とYMOを結成。最先端の電子楽器と東洋的な音楽要素を融合した独自のサウンドで世界的な成功を収めた。
1983年のYMO散開後は、ソロ活動を続けながら映画にも活動の場を広げた。大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』(1983年)では、役者として出演するとともに、音楽を担当。続くベルナルド・ベルトルッチ監督の『ラストエンペラー』(1987年)の音楽では、日本人初のアカデミー賞作曲賞他、多くの賞を受賞した。さらに、同監督の『シェルタリング・スカイ』(1990年)でもゴールデングローブ賞作曲賞を受賞するなど、海外の映画監督との協働を重ね、国際的な映画音楽作曲家としての地位を確立していった。
90年代には、電子音楽や映画音楽など多様な活動を展開する一方、ピアノを中心とした音楽へと再び関心を向けるようになった。1996年には、それまでの代表曲をピアノ、ヴァイオリン、チェロのトリオ編成に再構築したアルバム『1996』を発表。その流れを経て、1998年に『BTTB(Back To The Basic)』を発表した。「原点回帰」を意味するタイトルの通り、このアルバムはピアノ独奏曲を中心に構成され、映画音楽や電子音楽など幅広い活動を経た坂本が、ピアノを中心とするシンプルな音楽に改めて向き合った作品である。
2000年代以降の坂本は、環境・平和・社会問題にも関わり、2007年には森林保全団体「more trees」を設立、2011年以降は被災地支援や脱原発を訴える活動にも取り組んだ。2014年にがんを公表して活動を一時休止したが、翌年に復帰。アコースティックな響きへの関心とともに、環境音にも新たな可能性を見い出し、2017年の『async』では、さまざまな物の音や環境音を取り入れ、学生時代から憧憬していた美術における「もの派」のように、楽音と非楽音の境界を模索した。2023年には、闘病中にピアノやシンセサイザーを用いて日記のように録音したスケッチから12曲を選んだ『12』を発表し、最後まで音への探究を続けた。
「自分の音楽を表すいちばん身近な楽器です」(坂本、2024:20)と語っているとおり、ピアノは坂本の音楽的出発点であり、創作の最も身近な道具であり続けた。幼少期にはバッハを好み、その後ドビュッシーなどを通して音楽の「響き」に関心を深め(同:13、22)、やがて無数の音色を持つシンセサイザーでの音作りへとその追求は向かった(同:69)。その後、YMOや映画音楽など幅広い分野で活動の場を広げた後に、『BTTB』で戻ってきたのがピアノであり、最後のピアノ演奏となったコンサート『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022+』では、YMO時代から『12』までの楽曲をピアノ独奏で辿った。「ピアノの音がまだ続いてるのか、環境音なのか、あるいは幻聴なのかがわからなくなる境界」まで減衰していくピアノの音に耳を澄まし、「無時間的な音楽」(同:70)を志向した晩年の作品には、坂本の音楽を貫く一つの美学が表れている。
【引用・参考文献】
・円堂都司昭『坂本龍一語録』ぱる出版、2024年
・山下邦彦編著『坂本龍一の音楽』東京書籍、2008年
・坂本龍一『音楽は自由にする』新潮社、2009年
・坂本龍一『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』新潮社、2023年
・坂本龍一『ピアノへの旅』アルテスパブリッシング、2024年
作品(28)
ピアノ独奏曲
種々の作品 (28)
