
解説:飯田 有抄 (1010文字)
更新日:2018年4月21日
解説:飯田 有抄 (1010文字)
東京生まれ。 《早春賦》 の作曲家として知られ、 東京音楽学校(現東京藝術大学)の理論・オルガン教授だった中田章(1886~1931)を父に、ファ ゴット奏者・作曲家の中田一次(1921~2001) を兄に持つ。幼少よりピアノや作曲に親しみ、 歌やピアノ曲を作っていた。1943年に東京音楽学校ピアノ科を卒業後、約2年の軍隊生活を経て、本格的な作曲活動に入る。入野義朗、柴田南雄らが結成した作曲グループ「新声会」に入会。1947年には歌曲集「六つの子どもの歌」 を発表した。
1949年に《ピアノ・ソナタ》で第18回音楽コンクール(現日本音楽コンクール)作曲部門室内楽曲で第2位に入賞。 ピアノ作品では組曲 《時間》(1952)、《光と影》(1957)、4手連弾のための組曲《日本の四季》などが出版された。その後、歌曲の分野で数多くの名作を手がけ、《夏の思い出》《雪の降るまちを》などがNHKのラジオ放送を通じて親しまれた。無調による前衛的な作風が主流となりつつあった当時の作曲界に身を置きながら、革新的な技法には目もくれず、日本の情景が豊かに伝えられる叙情的なメロディと、調性に基づいた親しみやすいハー モニーにより、人々が気楽に口ずさむことのできる数々の傑作を生み出した。《かわいいかくれんぼ》《めだかのがっこう》などの童謡も広く愛され、大部分の作品がレコードに収録され発売された。1953年からは、フェリス女学院短期大学音楽科講師として後進の指導にあたる。60年代に書かれた女声合唱のための組曲 《美しい訣れの朝》、混声合唱のための組曲《馬と風景》、合唱組曲《みえないもの》、合唱組曲《都会》は芸術祭奨励賞を受賞している。全国の小中学校、高等学校の校歌や社歌を多数作曲している。
ピアノ教育にも尽力し、「こどものピアノ曲」 「小さい手のためのピアノ曲集」「こどものゆめ」など、こどものための作品集も多く残した。自身の手が小さく演奏に苦心した経験から、 手の小さい日本人や子どもには幅の狭い鍵盤のピアノが適していると主張し、「細幅鍵盤運動」 にも力を入れた。
日本童謡協会会長やフェリス女学院大学音楽学部教授を歴任後、76歳で他界。毎日音楽賞、 芸術祭賞、紫綬褒章受章、NHK放送文化賞受賞、日本音楽著作権協会60周特別賞、日本レ コード大賞日本作曲家協会功労賞他受賞多数。 2000年5月3日直腸癌により他界した。
解説 : 須藤 英子
(340 文字)
更新日:2007年1月1日
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解説 : 須藤 英子 (340 文字)
東京生まれ。音楽家の父・中田章(《早春賦》の作曲家)のもと、幼少よりピアノや作曲に親しむ。東京音楽学校(現東京芸大)ピアノ科卒業後、本格的な作曲活動へ。49年、入野義朗、柴田南雄らが結成した「新声会」に入会。同年、《ピアノ・ソナタ》で日本音楽コンクール作曲部門入賞。その後、調性音楽のスタイルで、《ちいさい秋みつけた》や《めだかのがっこう》《夏の思い出》など、今日も歌い継がれている数々の名歌曲を創作。ピアノ教育にも尽力し、「こどものピアノ曲」や「こどものゆめ」など、こどものための作品集も多く残した。日本童謡協会会長やフェリス女学院大学音楽学部教授を歴任後、77歳で他界。毎日音楽賞、芸術祭賞、紫綬褒章受章、NHK放送文化賞受賞、日本レコード大賞日本作曲家協会功労賞他受賞多数。
解説 : ピティナ・ピアノ曲事典編集部
(170 文字)
更新日:2010年1月1日
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解説 : ピティナ・ピアノ曲事典編集部 (170 文字)
東京都出身。
東京音楽学校(現東京芸大)卒。
豊増昇らに師事。
昭和22年歌曲集「六つの子供の歌」を発表。24年「ピアノ・ソナタ」が日本音楽コンクール2位となる。30年大中恩 (めぐみ)らとろばの会を結成。童謡を含む新しい歌曲、合唱曲の創造をめざし、「ちいさい秋みつけた」「夏の思い出」「雪の降るまちを」などを作曲。39年フェリス女学院短大教授。
作品(41)
ピアノ独奏曲 (4)
子供のための作品 (16)
ピアノ合奏曲 (3)