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芥川 也寸志 1925-1989 Akutagawa, Yasushi

  • 解説:須藤 英子 (1023文字)

  • 更新日:2018年4月21日
  • 1925年、文豪・芥川龍之介の三男として東京に生まれる。2歳の時に自殺した父の遺品の中から、特にストラヴィンスキーの《火の鳥》 や《ペトルーシュカ》のレコードを愛聴し、やがて作曲家を志す。1943年、東京音楽学校(現 東京藝術大学)に入学。戦中期は橋本國彦に、戦 後は伊福部昭に作曲を師事した。

    1949年、東京音楽学校研究科を修了。翌年、《交響管弦楽のための音楽》がNHK放送25 周年記念管弦楽懸賞に特賞入賞し、一躍注目を浴びる。1953年には、 《弦楽のためのトリプティーク》がカーネギー・ホールで初演されると共に、ワルシャワ音楽賞を受賞した。同年、 團伊玖磨、黛敏郎と「3人の会」を結成。管弦楽作品を中心に積極的に演奏会を開催し、戦後の作曲界を牽引した。1954年には、憧れのソビエト連邦にて、ショスタコーヴィチらを訪問している。

    また「音楽はみんなのもの」という考えから、 1956年にアマチュアオーケストラ「新交響楽団」を創設。30年にわたり、指揮者として支援活動を行った。1977年以降は、NHK『音楽の広場』や『N響アワー』など音楽番組の司会者を務め、音楽の普及に尽くした。1981年には、日本音楽著作権協会の会長に就任し、著作権擁護運動に奔走。1982年には「反核・日 本の音楽家たち」を結成し、反核コンサートを実施するなど、多くの社会的活動を通して、日本の音楽界の発展に大きく貢献した。

    初期の作風は、ピアノ曲《ラ・ダンス》(1948) にも見られるように、師・橋本譲りの都会的で粋な表現と、伊福部譲りの野性的なリズム・オ スティナートを特徴とする。50年代後半から60年代にかけては、《エローラ交響曲》(1958) やオペラ《ヒロシマのオルフェ》 (1967)など、 前衛的な響きを持つ作品を発表した。その後は、 チェロとオーケストラのための《コンツェルト・ オスティナート》 (1969)や、 《ラプソディ》 (1971) など、前衛の手法を生かしつつも、本来のしな やかさと軽やかさ、そして活力に満ちたオス ティナートを取り戻す。子どものためのピアノ 曲集《24の前奏曲》 (1979)には、それら芥川作品の魅力が余すところなく表現されている。 その他、映画音楽、童謡、ミュージカル、バレエ、合唱曲など、作品は多岐にわたる。

    鳥井音楽賞、紫綬褒賞受賞。1989年、63歳で死去。翌年、その功績を称え「芥川作曲賞」 が創設された。

    執筆者: 須藤 英子
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    About composer : 須藤 英子 (2844文字)

    更新日:2018年4月21日
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    作品(15)

    ピアノ独奏曲 (4)

    子供のための作品 (7)

    遊園地 遊園地

    作曲年:1984 

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    赤ずきん 赤ずきん

    作曲年:1985 

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    前奏曲 (1)

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    性格小品 (1)

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    ★ 種々の作品 ★ (2)

    無題 無題

    作曲年:1946 

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    室内楽 (2)

    バラード (1)

    バラード バラード

    作曲年:1951 

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    ★ 種々の作品 ★ (3)

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