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團 伊久磨 1924-2001 Dan, Ikuma

  • 解説:仲辻 真帆 (1170文字)

  • 更新日:2018年4月21日
  • 母方の大叔父・金子堅太郎は、明治初期に渡米して法学を修め、大日本帝国憲法の起草者の 一人である。父方の祖父・團琢磨は岩倉具視らと渡米し、日本の炭鉱開発事業や三井財閥の礎 を固めたが、血盟団事件(5・15事件)で凶弾に倒れた。また、父は美術史家で参議院議員も務 めた團伊能である。

    1924(大正13)年4月7日、東京に生まれた團伊玖磨は、幼年期を原宿で過ごす。太田黒元雄の『西洋音楽史』を読み、作曲の志を立てた。7歳の頃からピアノを学び始め、青山学院中学部2年生のときにはピアノ曲や歌曲を作曲している。1942年、東京音楽学校(現在の東 京藝術大学音楽学部)に入学し、同校教員の下總皖一、橋本國彦、細川碧らに師事するとともに、 学外で山田耕筰の薫陶も受けた。太平洋戦争が激化していた1944年に、陸軍戸山学校軍楽隊に入隊し、小太鼓の演奏や吹奏楽編曲を担当した。1945年に復学して東京音楽学校を卒業。 戦争により作曲技術の修得に不足を感じた團 は、諸井三郎のもとで対位法や楽曲分析を学ぶ。1946年以後、作曲コンクールへの入選を重ね、 1947年の《花の街》や1952年の《夕鶴》で 作曲家としての地盤を確立した。1952年には初めて映画音楽の作曲を手がけ、以来120本に及ぶ作品を書く。1953年に芥川也寸志、黛敏郎と「3人の会」を結成し、自作のオーケストラ作品を積極的に発表していった。1959年、天皇(当時は皇太子)、皇后両陛下のご成婚の際には《祝典行進曲》を、1993年の皇太子殿下、 雅子妃殿下のご成婚時には《新祝典行進曲》を作曲した。

    日中文化交流協会の会長を務めるなど、中国との文化交流にも寄与。ベストドレッサー賞に選ばれた作曲家でもある。多角的な活動をした團伊玖磨は、2001(平成13)年5月17日、中国で不帰の客となった。

    團の作品には、《交響曲》(第1~6番)、《2つの抒情詩》、《5つの断章》、 《6つの子供の歌》、 《ノヴェレッテ》、《ぞうさん》、《やぎさんゆうびん》などがある。特に声楽曲において、山田耕筰の作曲方法を念頭に置きながら、日本語の扱いに留意して創作にあたった。また、オペラの作曲者としての活躍が顕著であったことも、 團の特徴の一つである。木下順二の台本による 《夕鶴》は、團の音楽とともに日本のオペラ史に大きな影響を与えた。《建・TAKERU》は新国立劇場のこけら落としとして上演された。山田耕筰の未完のオペラ《香妃》のオーケストレーションなども手がけている。

    文筆活動にも積極的に取り組み、『アサヒグラフ』誌で36年間にわたり連載された随筆は、『パイプのけむり』シリーズとして刊行された。 團にとって文章を書くことは、「時を彫り付ける作業」であり、「音符の列のネガティヴな投影が生むもの」であった。

    執筆者: 仲辻 真帆
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    About composer : 仲辻 真帆 (3903文字)

    更新日:2018年4月21日
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