1826年に作曲され、ショパンの死後、20世紀に入ってから、1965年に出版された。その際、ヤン・エキエルが補筆している。ショパン16歳の作品であると当時に、ショパンの唯一のピアノ連弾のための作品となっている。
作曲当時、ポーランドで「ムーアの歌」として親しまれていたアイルランドのトマス・ムーア編曲によるメロディーを主題にした変奏曲である。ムーアは、このメロディーをアイルランド民謡として発表しているが、元来はヴェネツィア民謡の<愛しいお母さん>であった。ヴィルトゥオーソ・ヴァイオリニストとして名高いパガニーニも、このメロディーに基づき《ヴェネツィアの謝肉祭 変奏曲 作品10》を作曲している。ショパンは、この変奏曲を手がけた後、パガニーニ自身によるパガニーニの変奏曲の演奏を聴き、再び同じメロディーに基づいてもう1つの変奏曲、《パガニーニの思い出》を作曲している(こちらはピアノ・ソロのための変奏曲)。従って、このメロディーに基づくショパンの変奏曲が2作品存在することになる。
2人のピアノ奏者の間を行きかう序奏で開始する。その後、8分の6拍子の主題が奏される。そして、5つの変奏が続き、ヴィヴァーチェの第6変奏とコーダを奏して曲を閉じる。