1822年、ショパン12歳の時の作品。当時ピアニストとして演奏会にたびたび出演し、作品の出版も行っていたショパンは、ワルシャワでは「神童」としてその名を知られていた。
とはいえ、習作期の作品を、後年の作品と同列に扱ってはなるまい。この年ショパンは、後に音楽院で教えを受けることになるユゼフ・エルスネルから音楽理論の手ほどきも受けるようになっていたが、この『ポロネーズ』に表現されているのは音楽理論の学習成果などではなく、明らかにヴィルトゥオーゾを志向していたショパンのピアノ演奏テクニックの一端である。
それまでに作曲した3曲と同様この曲も、主部、トリオ、そしてダ・カーポで主部を繰り返して曲を閉じる、という3部分構成をとる。しかし我々は、まず「嬰ト短調」という調性の選択に驚かねばならない。調号4つ以上の調性は、当時の調律ではまだ主要三和音の響きに濁りがあったため、曲の主要な調性として用いられることは少なかった。そしてシャープが5つもつく嬰ト短調は、楽譜の見た目からしてすでに、ヴィルトゥオージティを感じさせる。後にフランツ・リストが『ラ・カンパネラ』をこの調性で作曲(当初変イ短調だったものを改作)したことを思い起こせば、この考えもあながち的外れとは言えないだろう。
主部のオクターヴの跳躍を含む半音階下行や幅広い音域にわたってのオクターヴ跳躍や分散和音、トリオにおける倚音をともなうパターン化された分散和音、3度の重音やトリルの多用など、いずれもヴィルトゥオーゾ演奏の基本的な技術であり、それらが曲のそこかしこにちりばめられているのである。また全曲中一度も、第1拍目の裏拍を16分音符で分割するポロネーズ特有のリズムがあらわれていないことにも、注目すべきである。つまりこの曲は、ポロネーズという曲想を借りて即興演奏の技術が盛り込まれたものなのである。