【解説】
1934年作曲。
山田耕筰のピアノ曲は、若き時代にその多くが作曲されている。1917年の12曲を最多とし、1916年は次いで8曲、1914年にベルリン留学から帰国して1917年ニューヨークに渡るその間が山田耕筰ピアノ曲の最盛期である。一方、この〈春夢〉の作曲年は1934年、48歳の年。〈赤とんぼ〉や〈この道〉などの代表的な歌曲の作曲よりも後である。〈春夢〉の自筆譜には舞踏者への指示と思われる言葉が書かれており、これは他の山田のピアノ曲の中で類を見ない。山田はベルリン留学後、 2 つの異なる芸術 ジャンルである舞踊と音楽を融合させ、「舞踏詩」という新たなジャンルを創設したが、この〈春夢〉もまたその系譜にある作品であろう。
[自筆譜に書き込まれた舞踏者への指示と思われる言葉]
b.2~6 「春の野辺。桜樹の下に若き男一人 逝きし人の小袖を抱えてくづをれてをる」
b.15~16 「蝶からむ。それを追う」
b.26 「遠くより声ある如く思はれ、声の方へと駆けよる」
b.27 「失望と軽い怒で」「やるせなき気持ちにて」
b.28~30「草花を投げたり踏んだりする」
b.31 「すねて帰る」
b.32~33 「小袖に気づく」
b.38~40 「小袖を強く抱いて 生ける人にもいふが如くかき口説きつゝ 立ち舞ふ」