ベルリン留学から帰国した山田耕筰は、東京フィルハーモニー会管弦楽部を創設するも、1916 年 2 月に解散する。そのころから山田は次なる活躍の場を広げるために、数多くのピアノ作品を手掛け、それを自らが主宰する「ヤマ ダ・アーベント」と題された演奏会で初演した。これらの活動により、山田の日本における洋楽の先駆者としての社会的な認識は強まった。
《「夜の歌」によせて》は、まさに山田がピアノ曲を数多く手がけていた時期である 1916 年 12 月 3 日に作曲された。タイトルは作曲者自身によるものではなく、春秋社の新全集版に基づく。作曲者山田耕筰によるタイトルは、「Petit poème à la “Nachtlied”」である。初演などの記録もなく、献辞もない。20 小節と小規模の作品である。彼のピアノ曲に特徴的であるように、 この作品もピアノの技巧を駆使していない。主調はイ長調であるが、頻繁に転調を繰り返すこ とで和声的に色彩感豊かである。