作曲は1776年4月、ザルツブルクにおいて。この協奏曲はモーツァルトの父レオポルトの弟子であるアントーニア・リュッツォウ伯爵夫人のために作曲されたと考えられることから、《リュッツォウ》協奏曲と呼ばれている。社交界に快く受け入れられるような、明るく軽やかに仕上げられた作品である。夫人はピアノを巧みに弾いたというから、演奏者の技量に作曲が制限されることもなかったのだろう。
モーツァルトはこの協奏曲を、先に作曲した第5,6番と共に、マンハイム・パリ旅行に携えて行き、機会があれば各地で披露したようである。実際、この旅行中に演奏されたこともわかっている。第1,2楽章に多種類のカデンツァが残されているのも、演奏の機会が多かった証拠といえよう。
第1楽章:アレグロ・アペルト、ハ長調、4/4拍子。協奏的ソナタ形式。ハ長調の主和音がフォルテで奏される開始部は、力強くある一方で、高く明朗な響きが際立っていることから、女性らしいやさしさをも印象付ける。
第2楽章:アンダンテ、ヘ長調、2/4拍子。小規模な協奏的ソナタ形式。ピアノが主体となって主題を奏するが、管弦楽も常に背景を支えており、色彩豊かな緩徐楽章にしている。
第3楽章:ロンド。テンポ・ディ・メヌエット、ハ長調、3/4拍子。ロンド形式。メヌエットのテンポで2拍目に休符をもつロンド主題が特徴的。また、イ短調のエピソードは後のモーツァルトの短調を思わせる激しさも垣間見せる。