独立した作品番号を持つものとしては、1905年に作曲された唯一の詩曲。これは、ヴェーラとの結婚生活が破綻をきたし、恋人タチヤーナ・シュレーツェルとの新生活を送り始めた年にあたる。また、スクリャービンの祖国ロシアで、第1次ロシア革命の起こった年でもある。
第1曲目はレントの4分の2拍子の曲である。僅か29小節のこの曲は、「AA’」の2部構成をとっている。分散和音の下降型に乗り、メロディーが浮き上がっていく。属7の和音や属9の和音が支配的で、その第5音を半音変化させることにより、響きの移ろいを生み出している。この曲が書かれた年にパリへ旅立っていることを反映してか、フランス語による指示がみられる。また、これ以後多く採用されることになるハ長調で書かれていることも特徴的である。
第2曲目はモデラートの8分の3拍子である。第1曲目と同様に、この時期以降スクリャービンが好んだハ長調で書かれている。50小節足らずのこの曲のつくりは3部形式となっており、ぶつかり合う和音の響きが、ある種の緊張感を生み出している。低音のリズムは1拍目に16分音符2つをもち、残りの拍は休符となっていることが多いが、このリズムで増4度音程を提示する進行をスクリャービンは晩年まで愛用した。