アルペジオの走句の連なりのみから構成される小品。創作史においては初期に位置付けられ、バッハがロ短調を扱った最初期の作品として注目に値する。《アルビノーニの主題によるフーガ》BWV951に添えられた手稿譜が複数ある。この取り合わせはバッハ自身によるものではないが、調を同じくし、音楽の雰囲気がよく合うことから、効果的で納得のいくものである。(現代でもBWV923と951を1曲に組み合わせた出版譜が広く使われている。)
目を惹くのは、後半の二分音符の和音の連続である。おそらく未完成のスケッチだろう。バッハはこうした略記をする場合かならず「解法」を示した。第8-9小節のそれぞれ後半に示された右手のフィギュレーションは、第6-10小節の略記の「解法」とみてもよいかも知れない。(「解法」の例は《半音階的幻想曲》BWV903/1にも見られる。また、《幻想曲》BWV944/1も二分音符の和音のみからなる作品で、おそらく未完と思われる。)そもそもこうした部分が小節数の上で半分を越える長さを持つのは、あまりにバランスが悪い。加えて、和声連結はとくに終結に向かう部分であまりうまくいっていないようにみえる。いずれにせよこの種の略記には奏者の自由な想像力で音楽を補うことが求められるだろう。なお、後半部分を補ったBWV923a なる異稿が存在するが、これはバッハに近いところにいた誰かの改作とみられる。
いっぽう、前半の仕上がりは即興的でありながら緻密に作りこまれており、見事というほかない。上行と下行、十六分音符と三十二分音符を使い分け、音域とテンポを自在に操る。中間では動機を左右の手に対等に与えて展開し、八分音符の刻みに耳が馴れたところで再び鍵盤の幅いっぱいに走句を散りばめ、拍節の世界から飛翔する。