この作品がバッハの真作としての地位を危ぶまれているとすれば、その理由は、単に不運な伝承経緯によるものだろう。残念ながら自筆譜は現存せず、唯一の資料はバッハと同時代を生きたオルガニスト、J. P. ケルナーの音楽帖のみである。ケルナーはバッハの信奉者だったが、彼がここに書きつけた作品がすべてバッハのものであったという確証はない。
しかし、少なくともこの作品は、音楽内容からバッハの真作である可能性がきわめて高い。そしてバッハの作品であるとすれば、おそらくかなり初期の作であると思われる。組曲はアルマンド-クーラント-サラバンドという基本の舞曲を順番通り含むが、最後にエコーの楽章を持つ点が特徴的である。エコーは17世紀末の組曲には珍しくないが、バッハは後年の組曲集で通常ジーグを終楽章に置いたからである。
組曲は前奏曲で始まる。3声部が簡明なテクスチュアのまま、中音域で緩やかに対話する。この前奏曲で終始きこえてくる16分音符の動機は、次のアルマンドにも引き継がれる。
アルマンドは前奏曲の変奏と思わせるような親密な前半部と、最大で3オクターヴに広がる幅を持った響きの後半部からなる。この曲の最初の魅力は第8小節第3拍のナポリ6度(as音)だろう。こうした和声の逸脱はいかにもゼバスティアン・バッハらしい。さらにここから一旦 g-Moll に終止するが、次にはすぐにg上の長三和音にふわりと静止して冒頭に折り返す、ないし後半へと移行する。後半が始まると、これがハ短調へ移る準備であったことが判る。後半は用いられる音域が広がって響きの豊かさが増す。最後2小節のコーダで右手だけの上行する音型は、次のクーラント冒頭で、右手のみの下行によって応えられている。
クーラントは8分音符の動機がほぼ絶え間なく続くが、この舞曲の基本リズムである2分音符+4分音符の形も厳密に守られる。全体は派手なところのない抑制のきいた曲であるので、淡々としたテンポを遵守しつつ、煌びやかな装飾音を随所に散りばめるのもよいだろう。
サラバンドは3声部が模倣風に始まるたいへん珍しいタイプである。ただし模倣は維持されず、舞曲のリズムがすぐに明確になる。8小節の楽節が3回繰り返されるうち、最初が前奏、後の2回はさらに4小節+4小節の小楽節に分かれ、動機を変奏してゆく。和声の微妙な色合いや音域の広がり、また装飾音などそれぞれの要素が多彩に変化する。
エコーはその名の通り1小節ごとこだまのように反復しながら進む曲である。fとpの指示は単純に音量を表すものではない。複数の鍵盤を持つチェンバロであれば、鍵盤を替えて弾く。現代のピアノであれば、una cordaで音色そのものを変化させるのも良い方法かも知れない。始まりの音型はサラバンドの冒頭と関連がある。第19小節で冒頭の動機が回帰する。原資料ではここにダル・セーニョのための記号があり、以降を反復するよう指示されているので、これを守るなら全体はロンドの形式ということもできる。が、エコーの規則的な交代がやや冗長となるため、反復は必ずしも必要ではないかもしれない。最後には4小節のコーダがつき、組曲全体を壮麗な終止へと導いている。
なお、エコー楽章には、バッハの初期作の複数のコラール(米イェール大学所蔵《ノイマイスター・コラール集》収載)と共通点が多く、この組曲が真作であるとの見方は近年ますます強まっている。