ブラームスのヴァイオリンソナタ全3曲は、彼の室内楽作品のなかでも最も親しまれ、頻繁 に演奏されている作品である。≪雨の歌≫とも呼ばれるこのソナタ第1番Op.78は、1878年から1879年にかけて、ブラームス46歳の時 に書かれた。この≪雨の歌 (Regenlied) ≫というサブタイトルは、自身の同名の歌曲(Op.59-3)が引用されていることに由来する。
ソナタ第1番の直前にはヴァイオリン協奏曲 ニ長調Op.77が作曲されているが、ヴァイオリンとピアノのための 作品としては、1853年に≪F.A.Eソナタ≫ のうち第3楽章のScherzoが書かれた以来、およそ25年の時を経てようやく完成にまで至った作品となる。
ブラームスのよく知られた逸話にあるように、彼は自 身の作品に納得いかなければことごとく破棄してしまう、強い自己批判と完璧主義の持ち主であったが、ヴァイオリンとピアノのためのソナタ もその例外ではなく、少なくともこの作品が完成されるまでに少なくとも3曲はソナタの作曲を試み、しかし納得せずにそれらを 破り捨ててしまったようである。
ブラームスはロベルト・シューマン(Robert Schumann, 1810 - 1856)、クララ・シューマン(Clara Schuamnn, 1819 - 1896)夫妻、そしてその子供たちとも大変親しくしていた が、このソナタが書かれていた頃、シューマン夫妻の末子で、ブラームスが教保(独:Patenonkel 英:godfather)でもあった詩人のフェリックス(Felix Schumann, 1854 - 1879)が25歳の若さで病死している(1879年2月)。
ヴァイオリンソナタの完成がフェリックスの死から約 半年後の1879年の夏であるから、この作品にはやはり、フェリック スの死に対するブラームスの悲しみも反映されていると推測できる。しかしそれは、失望や落胆といった重く辛い悲しみというよりは、温かい 愛情、故人との懐かしい想い出、そしてそこから生まれる寂しさといったもののように感じられる。
先述の、曲中に引用された自身の歌曲≪雨の歌≫はク ラウス・グロート (Klaus Groth, 1819~1899年)の詩によるものであるが、ブラームスはフェリッ クスの詩にも曲を付けている。≪私の恋は緑に萌え(Meine Liebe ist gruen) ≫Op.63-5、≪思いに沈んで (Versunken) ≫Op.86-5 が挙げられ、後者はヴァイオリンソナタ第1番と同時 期に書かれている。