《即興曲》は、1920年9月から、翌年の21年3月にかけて作曲された。ただし、この作品は2回改訂され、作品の内容が大きく変化した。
作品発表時、そして1922年にイギリスのチェスター社が出版した初版では、作品は「ヴィット・コン・フォーコ」、「レント」、「アレグロ・ヴォヴァーチェ」、「ヴィオロン」、「アンダンテ」、「ブリュスク」の6曲構成だった。1922年バージョンの自筆譜は、1993年にサザビーズでオークションにかけられた後、今日に至るまで行方不明である。
初演から2年後の1924年、プーランクは作品に最初の改訂を行う。この作業によって、「レント」と「ブリュスク」が削除され、「アレグロ・ヴィヴァーチェ」と「ヴィオロン」のあいだに、新たな3曲目として「トレ・モデレ」が加えられ、作品は5曲構成となった。この改訂は、1922年バージョンの自筆譜を写譜した楽譜に、直接書き込まれた。この資料は現在、フランス国立図書館音楽部門に所蔵されている。この1924年バージョンに対し、プーランクは1939年に最後の改訂を行った。現在では、この1939年改訂版が広く演奏されている。
1930年代以降の作品と比較すると、機能和声の枠組みを完全に逸脱してはいないとはいえ、《即興曲》はプーランクのピアノ作品の中でも、非和声音や小節ごとの急激な転調の繰り返しなどが頻繁に聞かれる。一方、「アレグロ・ヴィヴァーチェ」の出だしのように、プーランク作品に良く現れる、左手の軽快な伴奏パターンや、調性的な旋律など、のちの作品にも共通する要素もある。また、のちに加えられた新しい3曲目「トレ・モデレ」の、付点リズムが特徴的な旋律も、作品の中で特徴的である。
作品は、プーランクが特に信頼していたピアニストの、マルセル・メイエールに献呈された。カール・シュミットによる、プーランクの全作品カタログでは、《即興曲》の初演は、メイエールが1922年2月22日にパリで行ったコンサートにおいて、とされているが、エルヴェ・ラコンブによる2013年出版のプーランク伝では、初演者はプーランクのピアノの師匠、リカルド・ヴィニェスとなっている。