すでに多くの作品を世に送っていた少年コルンゴルトが、op. 1として満を持してユニヴァーサル社から出版したピアノ三重奏曲。楽譜の冒頭には、「エーリヒ・ヴォルフガンク・コルンゴルトは1897年5月29日にブリュンに生まれた。この三重奏曲は1909年12月に着手され1910年4月に完成した。――ウィーン、1910年7月」と記されている。弱冠12歳の少年による作品であることを強くアピールするかのような書き方が興味深い。とはいえ、全4楽章に仕上げられたこの作品に、幼さを感じさせるところはほとんど無く、成熟した様式と性格を備えた大作である。
第1楽章は、拡大されたソナタ形式で書かれている。ニ長調を主調としながら転調を繰り返し、無調に手が届きそうなその一歩前で、最後には主調に戻る。こうした手法はコルンゴルトの得意とするところであり、後の作品にも多く見られる。第2楽章はホ長調のスケルツォ。彼が愛用した7度の音程をふんだんに盛り込んだトリオの旋律は、一幕の歌劇『ポリュクラテスの指環』op. 7(1914)にも使われている。第3楽章は、チェロのソロに導かれるト長調のラルゲット。この瞑想的な楽節は、有名なジーチンスキーの歌曲『ウィーンわが夢の街』(1912)とよく似ている。最終楽章は、第3楽章のモティーフを変形させた序奏により颯爽と始まるソナタ形式。ウィーンのワルツや前の楽章の素材を織り交ぜながら、華々しいクライマックスを迎える。既出の楽想を再び用いるこの「循環形式」もまた、コルンゴルトが好んだ手法である。
この作品は、完成と同じ1910年の11月にミュンヘンで初演され、その翌日にはニューヨーク、そして12月にはウィーンで初演された。ウィーン初演時の演奏者は、ブルーノ・ワルターにアルノルト・ロゼ、フリードリヒ・ブクスバウムという錚々たる顔ぶれであった。1911年2月にはロンドンで演奏され、当地の批評には「帽子を取りたまえ!天才だ!」と、シューマンが若きショパンを讃えた時と同じ言葉が掲載されている。「僕の大好きなパパへ」捧げられたこのピアノ三重奏曲は、コルンゴルトの名がウィーンだけではなくヨーロッパ中、そしてアメリカへも広まることとなる、重要な出世作と言えるだろう。