作品概要
解説 (2)
執筆者 : 和田 真由子
(387 文字)
更新日:2007年6月1日
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執筆者 : 和田 真由子 (387 文字)
シューマンは子供のころから文学に強い関心をもっていた。その中でも、ドイツの幻想詩人ジャン・パウル・リヒターに強くあこがれており、「パピヨン」は、彼の小説『生意気ざかり』からインスピレーションをうけた作品である。ちなみに、タイトルとなっている〈パピヨン〉は、ジャン・パウルの文学の中で、ロマン的な詩的理念の象徴としてよく現れる。
シューマンは、家族に宛てた手紙の中で、《パピヨン》は、この小説の終末、仮面舞踏会を、音で表わそうと試みた曲であることを記している。
夢想家のヴァルトと、情熱家のヴルトという、対照的な性格をもつ双子の兄弟が、同じ一人の女性に恋をする。そして仮面舞踏会の一夜、2人は、彼女がどちらを選ぶのかを見極めようと、物語は進んでいく。
曲は12の小品による組曲で、このうちのいくつかは、彼がそれ以前にかいた小品をおりこんでかかれたものである。詩的情緒のあふれた作品。
総説 : 上山 典子
(1347 文字)
更新日:2018年3月12日
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総説 : 上山 典子 (1347 文字)
音楽史の時代区分として、1800年代には「ロマン派」という呼び名が慣習的に用いられてきた。しかし、相次ぐ革命や世紀後半の政治情勢、そしてそれと共に変化した音楽文化の動向を鑑みると、19世紀の音楽すべてをロマン主義の精神で包括することには多くの困難が指摘されている。シューマンに関して言えば、それでも、「ロマン派」という表現がもっとも似合う。音楽の語法がロマン的なだけでなく、創造力と溢れる感情に満ちたシューマン自身が、無限の彼方に自己を解消させようとするロマン主義者そのものだったからである。
父母双方の血筋から文学と音楽の豊かな才能を受け継いだロベルト青年は、ライプツィヒ、ハイデルベルク両大学で法律を勉強しているはずの時期も、家族の期待をよそに、ほとんどの時間を文学と音楽に費やしていた。1828年の復活祭、17歳のシューマンが残した自伝的メモには次のように記されている――「夜の歓喜の嵐。毎日の即興演奏。ジャン・パウル風の文学的ファンタジー。シューベルトに特に熱中、ベートーヴェンにも。バッハには少し。シューベルトへの手紙」。
1829-31年の間に作曲され、翌32年4月にOp.1(《アベッグ変奏曲》)と同じライプツィヒのキストナー社から出版された《パピヨン》(自筆譜は現在、フランス国立図書館所蔵)は、シューマン自身、「ある意味、聖書のような本」とまで言ったバイエルン出身の作家ジャン・パウル(1763-1825、本名はヨハン・パウル・フリードリヒ・リヒター)の未完の小説、『生意気盛り Flegeljahre』(1804年)と深いかかわりを持つ。当初シューマンは、その小説の最終章から、「仮面舞踏会の場面を音で表そうと試みた」と語り、実際、所蔵していた『生意気盛り』の10カ所に、《パピヨン》の第1~10曲それぞれを暗示する曲番号を書き入れていた。
しかしその後は、テキストに合わせて音楽を付けたわけではなく、J. パウルにインスピレーションを受けたのは最終曲のみであることを強調するようになる。確かに、『生意気盛り』をモデルにすると、《パピヨン》の配列は第2-3-4-7-11-1-6-5-9-8-10-12曲となるはずで、小説での出来事とシューマンの音楽の進行は完全に一致しているわけではない。しかしジャン・パウルの幻想的な世界におけるロマン的な詩的理念の象徴から導かれた曲のタイトルについて言えば、軽やかで清新な曲調、そしていくつもの小曲が優雅に変容していく様を見事に合致している。
曲はウェーバー的な「舞踏への勧誘」の役割を果たすニ長調のユニゾンの序奏で開始する。6小節目、イ音で停止すると、その属音は第1曲の冒頭音として引き継がれる。つまりこれらの曲は非常に密接な関係にあり、冒頭の2曲で作品全体の重要な動機、上行そして下行する音階的旋律を提示する。続く11の曲は調、性格、舞曲の語法など多くの点で多様な姿をみせるが、序奏と第1曲に由来する動機的つながりをはじめとし、3拍子と特定リズムの多用、表現的統一感、旋律の回想(特に最後の第12曲における第1曲の引用)、そして序奏と最終曲という外枠における調の一致などにより、個性的な小曲から成る「一つのまとまり」が見事に構築されている。
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