《3つのマズルカ》作品59は、1844年から手がけられ、1845年に完成した。作品は、生前に出版されたマズルカの中で唯一、誰にも献呈されていない。
1844年当時、ショパンの体調は相変わらず良くならなかったが、加えて、ジョルジュ・サンドの息子モーリスとの確執が決定的になったことが、創作を遅らせる一因となったといわれている。モーリスはなにかにつけショパンに敵対し、その間に立たされたジョルジュがショパンにかける愛情は限定的になっていった。ショパンにとって居心地のよかったノアンは、もはや耐え難い空気に包まれていたといわれ、ポーランド語での話し相手でもあった使用人ヤンも、モーリスらの嫌がらせを受け解雇されることとなってしまった。
このような苦境のなか、祖国への思いをこめて作られたのがこの作品59のマズルカである。1845年7月にワルシャワの家族に宛てた手紙の中では、ショパンは「わたしは根っからのマゾビア人(ポーランドの地方で、マズルカを生んだとされる地域)だから、これということもなく、新しいマズルカを書くことができた」と伝えており、マズルカが祖国の血に繋がる音楽であることをはっきりと言明している。
楽譜は交渉の末、1845年11月ごろにドイツのシュテルン社から出版された。これまで、ショパンの作品の大半はブライトコップフ・ウント・ヘルテル社から出版されていたが、オーギュスト・レオから新たに出版業をはじめたシュテルン社を紹介されたこともあり、このマズルカをシュテルン社から出版することとなった。ブライトコップフとの関係が悪化していたわけではなく、結局、この後の作品は、再びブライトコップフから出版されることになる。フランス初版も、ブランデュス社という新しい出版社から出版されているが、これは、フランスでショパンの楽譜の大部分を出版していたシュレジンガー社がブランデュス社に買収された故の出
12 版社変更であった。ブランデュス社とは、この後も継続的な関係をもっていくこととなった。
*イ短調 作品59-1 ― Moderato
嘆きかけるような単旋律からはじまり、複合三部形式A: || BCA || DDEE?A’ || B’CAcodaという形式をもつ。再現部分にあたるA’-B’は冒頭から半音下に転調しているため、主題が回帰したことを印象付けられるのは結尾部直前になってからであり、形式の曖昧性が意図されている。
それぞれの動機主題は、典型的なマズルカのリズムをはっきりと示しているが、それぞれの経過部はきわめて自然に移行するように書かれている。どこからともなく新しい舞踏のステップへと移り変わっていく様は、あきらかに円熟したショパンの作曲技法が発揮された部分といえるだろう。
3曲のマズルカとして生前に出版されたもののなかで、第1曲に短調が置かれているのは本作品のみである。それ故か、結尾部で諦観が繰り返された後、最後に現れる大きな上行の跳躍音は、次の活力に満ちた第2曲に対する期待を感じさせる。
*変イ長調 作品59-2 ― Allegretto
1844年、メンデルスゾーンはショパンに「古い友の願いとして、私の妻に数小節の簡単なものでよいのですが、何か書いていただけませんか」との書簡を送っていた(11月3日付)。この手紙への返答として、ショパンは1845年10月8日付けで、このマズルカの楽譜を送った。
「数小節の音楽」という要望に応えるかのように、本作品の中心をなすのは4小節の短く快活な動機である。作品全体はこの短い動機を繰り返しながら、きわめて単純な三部形式をなしているが、はじめの繰り返しでは対旋律を加えられ多声的に、中間部の後には左手によって低音部で奏でられるように変奏されることで、単純な曲想ながら豊かな色彩感を見事に表現している。
ショパンの円熟した作曲技法は、これらの主題変奏のほか作品のおよそ4分の1を占める結尾部にも凝らされており、第85小節からは完全な下行半音階を奏でるソプラノ、下行する全音音階を奏でるテノールを含む、四声の多声的なゼクエンツが絶妙な転調の美しさを醸し出している。
*嬰ヘ短調 作品59-3 ― Vivace
ショパンはマズルカに好んで「Vivace」と付けており、「Allegretto」と並んでマズルカの代表的な楽想表記となっているが、「Allegretto」が短調、長調いずれのマズルカにも用いられているのに対して、「Vivace」はもっぱら長調のマズルカに用いられる表記である。その中で唯一、短調のマズルカに「Vivace」と付けられたのがこの作品59-3である。
「Vivace」とともに f が指示された冒頭主題は、作品59第1曲目のマズルカとは異なり、憤怒するかのような激しい感情を示している。それに対し、長調で奏でられる中間部は、穏やかに、甘美な旋律が奏でられ、祖国の家族と過ごした平穏な時を思い出しているかのようである。まさに、サンド家の紛争の渦中、思わぬ苦境に激しい感情をいだきつつ、前年の家族との再会を懐かしむショパンの姿が反映されたかのようである。
楽曲の形式は非常に複雑であり、AABBAA’ || CDEDEA” || AAF || Ecodaとなっている。冒頭からの発展の仕方は、他のマズルカにもよく用いられた複合三部形式と同じであるが、中間部の後には主題Bは再現しない。ロンド風の巡回形式としても不完全であり、これまでのマズルカで用いられた形式をもとに、きわめて自由に発想されたものといえるだろう。
多声的な変奏技法はこの作品にも用いられており、冒頭主題ははじめの再現では内声部に半音進行の下行音型が付け加えられ、2度目の再現では左手によって、2小節遅れのカノンとして奏される。結尾部は嬰ヘ長調に転調し、激高する感情を抑え、希望を見いだそうとする前向きな響きの中で締めくくられる。